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22年9月7日更新

代表談話 障害者権利条約 初の日本審査を終えて

○8月22日、23日に国連ジュネーブ本部で障害者権利委員会による初の日本審査が行われました。日本からは100人以上の傍聴団が参加し、JDからも藤井代表始め傍聴団に参加しました。障害者権利条約の誕生から深く関わってきたJD藤井克徳代表の談話を発表します。

 

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代表談話

障害者権利条約 初の日本審査を終えて

 

2022年8月26日
認定NPO法人日本障害者協議会
代表 藤井克徳

 歴史的な会議や企画をふり返る時、その開催の前と後とで、期待やとらえ方が大きくズレることがある。今回の国連ジュネーブ本部での障害者権利委員による日本政府報告書に関する審査(以下、対日審査)はまさにその典型となった。JDFや日弁連を中心とするNGO側は、パラレルレポート(政府報告書に対するNGO独自の見解)作成を中心に、数年越しで対日審査に備えてきた。そこに込めた思いはただ一つ。「人権侵害に当たるいくつもの深刻な実態を好転させたい」に尽きる。
 去る8月22日、23日の両日に開かれた対日審査は惨憺たるものだった。審査が始まった直後から期待感は一気に萎みだした。持ち直すことは一度もなかった。詰めかけた日本のNGO100人余の日本政府代表団への印象は、唖然、そして怒りの入り混じった衝撃以外のなにものでもなかった。ヤジも飛んだ。

 日本政府(関連省庁から25人以上が出席)の見解や姿勢についての感想を簡潔に述べたい。
 一点目は、障害者をめぐる実態に誠実に向き合っていないことである。例えば、権利委員からは隔離状態が続く精神科病院の実体を問い質しているのに、政府コントロール下にある検討会報告書の一文を読み上げ、政策の方向は順調だと言わんばかりの答弁がくり返された。あげくの果ては、事実とは異なる言い回しや数値が登場する始末。
 二点目は、障害者権利条約の全体像と本質を理解していないことである。権利委員から、権利条約の魂とも言える「他の者との平等を基礎として」に沿っての、障害の社会モデル・人権モデルや複合差別・交差差別、インクルーシブ政策への対応が求められたが、まともに回答できなかった。はぐらかしというよりは、それらの本当の意味を知らないことからくる急場しのぎに思えた。
 三点目は、日本の障害者政策を改革しようとする気迫が感じられなかったことである。審査の形式は、権利委員と政府による「建設的対話」というものなのだが、そこにくり広げられたのは、「うまくいっている」もしくは言い訳の連発だった。「建設的」でもなければ、「対話」でもなかった。国際障害者年(1981年)を改革の追い風にしようとした当時の障害関連官僚とはまるで違う。

 以上述べた日本政府へのネガティブな感想だけが今回の対日審査のすべてかと言うと、決してそうではない。ポジティブな側面がいくつもあった。まずあげたいのは、障害者権利委員(18人)の真摯で懸命な働きだった。パラレルレポートを丹念に読み込んでくれていた。的を射た質問が連なり、ねばり強い食い下がりもみられた。明らかに日本政府の不誠実さを見抜いていたのである。極めつけは、ヨナス・ラスカスさんと並んで日本審査担当のキム・ミヨンさんの権利委員会を代表しての最後のコメントだった。途中から涙声に変わる。「こんなにも真剣なパラレルレポート、そして日本からの大勢の傍聴者の前で、日本政府のみなさんは恥ずかしくないのですか」、私たち日本の傍聴団にはそう聴こえた。おそらくは、傍聴者のすべてが涙したように思う。政府報告に落胆していた中で、「傍聴に来てよかった」と思わせてくれた瞬間だった。拍手は鳴りやまなかった。
 ポジティブな側面のもう一つは、まもなく出される権利委員会による総括所見(日本政府への勧告)にますます期待が高まることである。日本政府の不誠実な姿勢の分、権利委員のエネルギーは総括所見の作成に向かうに違いない。期待していいように想う。

 日本政府の対応への評価は、文字通りの「ジュネーブショック」だった。しかし、それに向かった日本のNGOのまとまりと努力は、未来へ向けて掛け替えのないものを残してくれた。そして、障害者権利委員会及び一人ひとりの委員の国際正義を貫こうとする姿勢に、改めて称賛の拍手を送りたい。
 やはり障害者権利条約はすばらしい。同時に、「権利条約に恥をかかせてはならない」の意を強くした対日審査であった。最後に、関心を持っていただいた多くの市民社会にお礼を述べるとともに、間もなく出される総括所見を最大限に生かすことを表明する。

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