09年1月7日更新
障害者施策推進本部長 様
2008年12月24日
日本障害フォーラム(JDF)
代表 小川 榮一
貴職におかれましては、日頃より障害のある人の人権確立にご尽力されていることに心より敬意を表します。
さて、国連の障害者権利条約は、今年5月に発効しましたが、日本政府はまだ批准に至っていません。私たちはこれを批准するための条件として、国内関係法の整備と、障害者の権利を具体的に担保できる裁判規範性をもつ「障害者差別禁止法(仮称)」の制定が不可欠であると認識しています。
政府は現行の障害者基本法を改正することで充分であるという立場をとられているようですが、裁判規範性がなく、権利侵害等に対し具体的な救済策がありません。私たちは障害者の差別禁止・権利擁護を具体化するには、別立ての法制が絶対に必要であるという認識に立ちます。
この法の制定に際して、必要最小限の基本的な視点を下記の事項に掲げましたが、これ以外にも、人権に関わる障害問題が多面的・複合的に存在していることは言うまでもなく、この法だけで、障害のある人の差別問題が全面解決されるわけではありません。
しかしこれらの完全な解決を図っていくには、「障害者差別禁止法(仮称)」が一日も早く制定されることによって、その糸口が開かれていくものと確信します。
記
以下にその法に盛り込まれるべき重要な視点、要素を述べます。
2004年、障害者基本法が改正され、第3条3項に「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」という条文などが加わりましたが、具体的な救済規定がありません。したがって、差別を受けた場合あるいは権利侵害を被った場合、被害者が訴訟を可能とさせる、あるいは訴訟にいかない前の段階で、具体的な救済を受けることを可能とさせる、法制度の整備が必要です。
差別や人権侵害に多くの障害のある人が見舞われ、泣き寝入りをさせられているという現状認識から、裁判所による是正命令を認めるなど裁判規範性のある差別禁止規定が組み込まれた法の制定が重要です。
尚、この法における救済は、司法によるものと、救済機関の設置による簡易なものと、2つの方法によるものとすることが重要です。
差別を被ったり、権利侵害を受けた人が、訴訟で争えるようにしていくのが、障害者差別禁止法(仮称)の重要な役割の一つですが、日本においては、訴訟に持ち込んだ場合、多くの手間と時間、そして経済力が必要とされます。現在、人権擁護委員会が法務省の管轄で設置されていますが、障害者差別禁止法(仮称)における救済を目的とする委員会を、政府から独立した機関として設置し、権利救済の機能と役割を高めていくことが重要です。
障害のある人の権利を保障するという視点に立つ法制度の確立をめざす上で、「差別とは何か」を定義していくことは、この立法の基本となすところです。
一般的に流布されている差別の概念(「障害」を特定して権利を侵害する直接差別)のみならず、間接的差別(「障害」を名指ししていない中立的な規定等によって「形式的平等」を装いながらも、障害のある人が結果として不利益をこうむることも差別の定義に含まれなければなりません。その場合の規定の目的や正当性が証明できない場合、例えば、就労分野における職員等の募集要件において「自力通勤」を要件とする場合、「障害」を名指しはしていないが、介助等の必要な障害のある人は不利益をこうむることになります。この場合の「自力通勤」要件の正当性が証明されない場合に間接差別に該当する)をも、その定義の中に入れる必要があります。
また、家族に障害のある人がいるからとの理由で不利益な取り扱いを受けることや、過去に障害を持っていたという理由で差別を受けた場合についても、この法の救済対象としていくことが求められます。
基本的には身体的(広義の)特徴や個性によって被っている社会的不利益という社会モデルとしての障害の定義が求められます。現在の法体系においては、障害と認められない狭間の障害と呼ばれる人が多数存在します。これらの障害をすべて包括しうることが障害者差別禁止法(仮称)には必要です。
一方、裁判規範性のある法制度という観点からは、立証可能な定義でなくてはなりません。具体的には、以下の通り提案いたします。
この障害者差別禁止法(仮称)の立法化にあたって重要な鍵となるのは、合理的配慮という概念の導入です。雇用や教育の場など、社会参加という場面で、政府や、自治体、事業体に求められるのは、障害のある人への合理的配慮です。他の市民との平等を保障するために、配慮(環境や体制の整備といったもの)していくことが、障害者権利条約において求められています。前述した通り、合理的配慮がなされないことも、障害者差別禁止法(仮称)において、差別と認定されなければなりません。
“障害者権利条約”は手話を言語として定義しました。これは国内法においても、適切に明記すべきです。
手話は、聴覚に障害のある人にとって死活に関わるコミュニケーション手段であるのみならず、成長に伴って自然に習得される自然言語として言語発達面でも重要であり、また思考の道具として、さらに人格形成の手段としても極めて重要です。
しかし、日本ではいまだに手話が言語として法的認知を受けていないために、教育や社会的活動の様々な場面においても手話の使用が制限され、言語、思考、人格形成における手話の活用において大きな制約を受けています。それゆえ、障害者差別禁止法(仮称)においては、手話を言語として認知し、教育や社会活動の様々な場面において手話を使用する権利を認める必要があります。
音声によるコミュニケーションに障害のある人たちのコミュニケーション方法は、手話、指文字、点字、触手話、指点字、筆記、手のひら書き、身振り、物のサイン等のさまざまなコミュニケーション手段があります。どの手段を使うか、また、どの手段の支援を受けるかの選択権は当事者にあります。これらを権利として保障することを明文化すべきです。漢字や難しい言葉づかいのわかりやすい表現など、障害のある当事者が理解しやすい表現を利用できることも、重要なコミュニケーション保障です。
これまで障害を理由に、多くの障害者が施設や病院という管理された集団生活を余儀なくされてきました。これは、専門的な支援が必要とされるからだ、との理由で行われてきましたが、実は地域社会で支援を受けながら生活できる社会資源や制度が整備されていなかったからに他なりません。本人の意思のないところで強いられる集団生活は、障害に基づく差別と捉え、地域社会での自立生活の権利の明文化が求められます。
障害者権利条約では「障害のある人が障害を理由として一般教育制度から排除されないこと、及び障害のある子どもが障害を理由として無償のかつ義務的な初等教育又は中等教育から排除されないこと。」(川島聡=長瀬修仮訳(2008年5月30日付))と示されています。障害を理由に不利益な扱いをすることは差別であるという認識に立ち、基本的にはすべての学校で障害のある学生(子ども)が学べるように、抜本的な教育条件整備を早急に進めていくことが重要で、その視点に立ち、学校を選択する権利については本人にあることを明確にすべきです。
手話通訳、要約筆記、点訳等による情報保障や、介助サービス、校舎のユニバーサルデザイン化などの支援サービスによって、初等および中等、高等教育、またあらゆる段階の教育を通して、他の学生(子ども)と平等に学べる体制をつくるべきです。それらを含む多様で多くの手立ては、合理的配慮の視点をあわせもち、一人ひとりのニーズに即した内容であることが重要であり、障害のある学生(子ども)にとっては権利なのです。
一人ひとりの学生(子ども)は、そのニーズに即したもっとも適切な環境と支援、方法による教育を受ける権利があります。特に、盲、ろう、および盲ろうの子どもは、盲学校やろう学校で、もっとも適切な言語ならびにコミュニケーション方法を用い、かつ、学業面および社会性の発達を求める権利が認められるべきです。
多くの課題が未解決の中、障害者差別禁止法(仮称)においては、特に障害のある人の労働者としての権利を確立していくために、労働における合理的配慮の義務を国・自治体・事業所に課していく必要性があります。
未だに多くの精神に障害のある人が、本人の同意なしで医療を受けさせられている実態があります。基本的には医療は同意に基づく営みでなければならず、歴史的文脈から捉えていくとき、強制医療の禁止を障害者差別禁止法(仮称)において明文化させることが求められています。
判断能力に支障のある人への権利擁護制度として成年後見制度があります。財産権の保持など、権利擁護の一定の役割を果たしていますが、自己決定権の制限や、そして何よりも選挙権が剥奪されるなどの、人権上大きな問題が存在します。障害者差別禁止法(仮称)の立法化にあたっては、同時に成年後見制度の見直しが求められます。
以上
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