障害の種別や立場、考えの違いを乗りこえ、障害のある人々の社会における「完全参加と平等」や「ノーマライゼーション」の理念を具体的に実現することを目的として、各種事業を全国的に展開しています。

17年9月21日更新

2017年「すべての人の社会」9月号



2017年「すべての人の社会」9月号

VOL.37-6  通巻NO.447

巻頭言 どうなる? 障害者総合支援法に基づく労働問題

NPO法人日本障害者協議会理事 中村 敏彦


 倉敷市や高松市にある就労継続支援A型事業所の7事業所が一斉に閉鎖され、280人にも上る障害者が解雇された。経営悪化が主要因で、市は閉鎖までに障害者の受入れ先を見つけるように勧告していたというが、そう易々と次の職場が見つかるものではない。

 名古屋市や関東地方でも相次いで廃業準備が進められているという。過去にも全国的にも例を見ない規模の一斉解雇であるが、実は2015年度の廃業は141事業所に膨らんでいた。閉鎖される事業所は比較的新しい事業所で、雇用する障害者には最低賃金以上が支払われていた事業所もあるという。事前にできることはなかったのか、職を失うことは避けられなかったのか、無念が残る。

 就労継続支援A型事業は障害者総合支援法を根拠法に、開設する場合は事業計画や運営体制などの必要書類を基に事業開始申請を行い、事業者の指定を受けなければならない。雇用が前提であり、給与は事業所が行う事業収益で賄い、事業収益が見込まれないと適切に事業を行うことはできない。また、要件を満たすためには、職業指導員や、社会生活支援を行う生活支援員の配置が必要となる。そのため、事業所の新規申請を行う際には、継続して適切に事業が行えることが確認できた上で、事業開始の指定を受けることができるのである。指定する際に予見できなかったのか、雇用率の引き上げを意識するあまり安易に認可してはいなかったか、行政責任は問われないのか、さらに他の地域では起きていないのか、疑問と不安が膨らむ。

 当該事業が第二種社会福祉事業に位置付けられ、経営主体の制限が緩和されたことにより、様々な事業体が実施するようになり、2016年度には全国に約3,600カ所に増えた。そして近年、法の趣旨または厚生労働省令および都道府県条例に規定する人員、設備および運営基準に抵触し、不適切な運営を行なっている事例が全国的に問題となっていた。こうした事態を踏まえ、指定の基準である厚生労働省令等が平成29年4月1日より改正され、事業運営が適切なものとなるように、基準を満たさない事業者には経営改善計画の提出を求めるなど新たな義務付け等がなされた。また、障害者総合支援法改正において、地域の障害福祉計画上の必要なサービス量を確保できている場合には、自治体は新たな指定をしないことを可能とした。その最中の事態である。この対応は適切だったのだろうか。

 障害が自己責任に転嫁され、障害者福祉がサービスの対象となったことで、福祉のビジネス化を生んだ。市場参加者が自己利益を追求する市場原理の中では、とりわけ重度障害者の労働環境の向上は望めない。加えて、この数年の社会保障全般への国の動きは、発する言葉と内容が伴っておらず理解しがたいものがある。この度の社会現象の最たる犠牲者は、障害のある労働者であることを肝に銘じなければならない。

視点 百害でしかない身体拘束

NPO法人日本障害者協議会代表 藤井 克徳


「縛ったのが一番よくなかった。相手に信頼されたかったら、先ず此方から信頼してかからなければならないのに、あれではますます恐怖心を起こさせる。いくら猫でも、縛られていては食慾も出ないであろうし、小便もつまってしまうであろう。」、これは谷崎潤一郎の代表作の一つである「猫と庄造と二人のおんな」の一節である(1936年発表)。

 この一節に、すぐさま連想させられるのが、このところ急浮上している精神医療の身体拘束(拘束)の問題である。ひと昔前はもっとひどかったが、今も精神科病院での拘束は珍しくない。体験者は異口同音に言う。「縛られたことは一部始終覚えている」「落ちるところまで落ちたような気がした」「生きてきた中で一番嫌な思い出だ」……と。そればかりではない。冒頭の猫の話ではないが、拘束と背中合わせなのは恐怖心であり、後に残るのは強烈な医療不信と医療関係者への憎悪である。精神医療にあって、「信頼関係」が崩れたら元も子もなくなる。最初に恐怖心をあおられ、不信や憎悪を入り口とするのではどうしようもない。人の感じ方というのは、仮に説明のつく理由があっても、それでも感じる側に分があるのだとする心理学の鉄則を忘れてはならない。

 気になるのは、日本と経済面が同水準の国がどうなっているかである。精神科医療の身体拘束を考える会の長谷川利夫よびかけ人らの話によると、どの国も拘束はゼロに近づけるよう努力しているという。日本は逆で、厚労省の統計では増える一方である。欧米では、いわゆる自傷他害の恐れのある者に対しては、人海戦術を基本としている。例えば暴れている人がいたとする。ずっと手をつないでいたり、不安感を減らすために抱きかかえる場合もある。抱きかかえる状態が10時間にも、20時間以上に及ぶこともあるという。スタッフ側は交代での対応となる。急性症状が治まるまでに、道具や機械で抑えつけられるのと、人の接触を基本とする対応とでは、後々の信頼関係にどう影響するかは想像に難くない。

 日本の場合、評判のそれほど悪くない病院でも拘束が行われている。理由は、一つは人手不足である。看護師からはこう返ってくる。「60人病棟の夜勤を二人でこなすには、ある程度の拘束はやむを得ない」。もう一つは、こちらの方が深刻であるが、拘束にさほどの罪悪感がないことである。「赤信号、みんなで渡れば」の域に入っている感じである。身体拘束の乱用問題をじっと考えていると、その向こうに精神障害分野をめぐる問題がいくつもぶら下がってみえてくる。精神科特例制度、社会的入院問題、病棟転換政策等々である。そう考えると、拘束問題は、濁りに濁った日本の精神医療の構造問題の一つとしてとらえられよう。精神科特例で劣悪な人員体制を強いられ、おびただしい数の社会的入院問題で人権感覚が鈍麻し、病棟転換で何が本物の政策かを見失い、拘束問題もこれらの相乗効果と悪循環の中に位置づけられるのではなかろうか。

 もはや、精神科医中心の旧来の審議会ではどうにもなるまい。当面行政府への期待が難しいとなると、ここは立法府が頑張るしかない。例の立法事実(改正の根拠)を失った精神保健福祉法改正法案にうつつを抜かしている場合でない。さっさと廃案にし、今述べてきた拘束問題を含む精神医療の構造問題に全力を傾注すべきである。

 世界中の精神科ベッドの20%が日本に集中している。このことと関係しながら、「社会的入院大国」と言われて久しい。加えての「拘束大国」は何としても避けなければならない。  

2017年8月の活動記録・講師派遣

憲法施行70年と障害者 パネルディスカッション
「障害者に生きる価値はないのか!―真に共に生きる地域社会の実現をめざして―」

それぞれの立場で、語る〝 いのち" 憲法が、ささえ・保障している


声明 相模原事件から1年 共に生きる地域社会の実現をめざして

なるほど!ナットク

「人に合わせて」を実践する京丸園星川 安之


連載 日本国憲法と私

第12回 憲法とわたし
東川 悦子


連載 障害者権利条約パラレルレポートへの道

第3回 障害者権利委員会―その構成と役割長瀬 修


連載 差別と抑圧の歴史

第18回 障がい者と沖縄戦(下)
今も残る私宅監置跡を訪ねて 山城 紀子


新連載 わたしの子育て体験

第1回 視力を失い、出産 子育てに奮闘 内田 邦子


私の生き方

第48回八鍬 明日香


トピックス+読みたい1冊

インフォメーション

新作映画上映会&シンポジウム「日本のMattoの町をどうする!



賛助会員大募集中!
毎月「すべての人の社会」をお送りいたします。

■個人賛助会員・・・・・・・1口4,000円(年間)
■団体賛助会員・・・・・・1口10,000円(年間)

▼お申し込みは下記JD事務局へメール、電話、FAXなどでご連絡ください。
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1 日本障害者協議会
TEL:03-5287-2346 FAX:03-5287-2347

○メールでのお問合わせはこちらから office@jdnet.gr.jp
○FAXでのお申込み用紙はこちらから 【賛助会員申し込みFAX用紙】

※視覚障害のある方向けのテキストデータ版もございます。
※ご不明な点はJD事務局までお問い合わせください。



フッターメニュー