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●解説 「松の木をもむのか」 学業半ばにして失明した彼は、自らの死を決意しながら果た せず、神の愛に目覚め神学者への道を歩み始めます。 妹の助けと励ましによって、イギリス留学を成し遂げた頃か ら、彼、タケオ・イワハシ(岩橋武夫)の名は日本よりも、 海外で知られるようになります。 帰国後彼は、神を説きながら、盲人にも学問は必要なのだか ら、と、点字の普及に努めるのでした。 あまり乗り気でない人々に対して、「按摩あんまをするにし ても、人間の体についての医学的な知識くらい持っていなけれ ばならなくなるぞ。 そうでなければ人間をもむことなど、出来なくなる時が来る んだぞ。そうなったら遅いぞ。松の木でももむのか」と怒りを ぶっつけた話は有名です。 大阪にライトハウスを開設し、点字の新聞・図書などを発行 し、盲人の援助と社会的地位の向上に努めます。 そして、第二次世界大戦を挟んで前後三回にわたるヘレンケ ラー女史の来日招へいは、全国各地を巡っての講演会を通じて 、障害者ばかりでなく、広く一般の人々にも大きな反響を呼ん だのでした。 盲人の学問の普及と、 社会的地位の向上に努めた 岩橋 武夫。[←←最初] [←前頁] [次頁→] [最後→→]
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