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●解説 神社に祭られた杉山検校 江戸に幕府を開き、二百数十年の太平の基を築いた徳川家康 は、一族に盲人がいたため特に盲人の保護に力を注いだ、と云 われています。 そして五代将軍・綱吉の頃活躍した杉山和一検校は、将軍と 親密になれたのを利用して、検校制度をより強固ものとすると ともに、京都だけでなく江戸にも総検校を置き、江戸の地位を 高めたり、ハリの講習所を設けて、盲人の職業としてハリを確 立し、杉山流を開きます。 平家琵琶は廃れ、琴・三味線はまだ普及しきっていなかった 江戸の初期、盲人たちは新しい職域を求めていましたし、第一 、盲人すべてが音楽向きとは限らないわけでしょう。ハリ・ アンマは以後、盲人の有力な職種として確保されることになる のです。 その彼も、最初のハリの先生に見込が無いと追い出された (?)のを契機に、それまでのハリの頭を槌で叩く方法でも、 ねじりながらハリを刺す方法でもなく、細い管に入れて刺す方 法を編み出したと伝えられています。 こうした業績によって彼は、現在も東京都墨田区千歳にある 杉山神社に祭られ、遺徳を偲ばれているのです。 独特の管バリによって 杉山流を開き、盲人の職種 を確立した、杉山検校は 神社に祭られている。[←←最初] [←前頁] [次頁→] [最後→→]
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