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●解説 岩倉の里親 江戸時代中期の有名な俳人、与謝蕪村よさのぶそんの句に 岩倉の 狂女恋せよ ほととぎす というのがあります。 切迫したホトトギスの声と、ひたむきな女性の恋とをマッチ させた、半ば空想的な作品です。鞍馬山へと続く洛北の山里に は、ホトトギスも多かったのでしょう。 この岩倉という土地と、狂女、つまり、ノイローゼだったり 錯乱してしまった精神障害の女性との間に特別な関係があった のです。その関係は、この句が詠まれる数百年も昔の、平安朝 の頃にまで遡るのです。 皇族か貴族か、精神を病んでいた女性が、岩倉の滝に打たれ ることによって全快します。 それが噂になって、岩倉詣でをする貴族が増えます。精神薄 弱の子女を詣でさせるケースもあったでしょう。けれど、すぐ に効果が現れるものではありません。長逗留に備えて付近の民 家に寄宿させていたのが、それでも足りずに、ついに養子縁組 みして、一生を預けることにもなり、そうした風習は一千年以 上も続くのです。 縁組みした民家は、貴族の保護がメリットでした。[←←最初] [←前頁] [次頁→] [最後→→]
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