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●解説 竹山と最後のごぜたち 地に響く力強さ、時には吹き募る吹雪の激しさを思わせる 太竿の津軽三味線。 高橋竹山は、その第一人者でした。 青森県の農家に生まれ、ハシカがもとで三歳で失明、貧しさ もあって盲学校に通えず、村々を門付けして歩くボサマに弟子 入りして、お供しながら三味線を習ったのでした。 以後、単独で、または旅廻りの一座に加わって、浪曲の伴奏 など三味線で各地を巡る内に、成田雲竹と会い東京・大阪の桧 舞台の興行に参加して、津軽三味線一筋にと進路を定めます。 雲竹・竹山のコンビは、戦時中の中断を除いて二十年近く続 き、独特の芸風を確立し、雲竹没後は独壇場でした。 その芸を磨く旅は『竹山ひとり旅』として映画化され、国際 的になります。 竹山がひとり旅もしたのに対して、女性である ごぜたちは 、常に数人かそれ以上の群れを作って行動していました。 農村に数少ない娯楽を与えて歩いたのは同じでも、芸風や演 目には自ずから違いがあったようです。新潟や東北地方に残っ ていたごぜたちも、戦争やラジオの普及によって姿を消して行 きました。[←←最初] [←前頁] [次頁→] [最後→→]
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