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●解説 療養文芸と石田波郷 戦争は終っても、苦難の時代は続きます。空襲の焼け跡のバ ラック住まい、食糧難、夜毎に繰り返される停電。 そうした乏しい生活の中で、戦時中からの疲労と栄養不足と による結核が人々を虫食んで行きました。壮年から青年層まで 男女の区別無く、殆どすべての人が受けなければならなかった 苦の洗礼だった、と云えるかも知れません。 薬も無く、最後には肺の病巣を切除するしかない、耐えて寝 るだけの闘病。 その闘病生活を支えたのが、生きる証しを詠い上げる詩・ 短歌・俳句の短詩形文学であり、ラジオの療養文芸の時間でし た。 多くの俳人が闘病生活を余儀無くされまた、療養生活から俳 人が生まれます。 その療養俳句の頂点に立っていたのが石田波郷はきょうでし た。若くして俳壇の輝かしい旗手となった彼は、大陸の戦線で 発病し、戦後も療養生活を続けることになりますた。 その彼の清瀬療養所などでの作品を纏めた句集『惜命』や『 胸形変きょうぎょうへん』は、当時の多くの療養俳人たちにと って一種のバイブルのように、生きる光りを与えるものとして 愛読されたのでした。 戦後の窮乏生活から生まれ た療養文学、その頂点に 石田 波郷。[←←最初] [←前頁] [次頁→] [最後→→]
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