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20年7月29日更新

代表談話 ALS患者の「殺人」事件報道に接して

○JDは2020年7月29日、代表による「談話 ALS患者の「殺人」事件報道に接して」を公表しました。
 【PDF版はこちらから】

2020年7月29日

談話
ALS患者の「殺人」事件報道に接して


認定NPO法人日本障害者協議会(JD)
代 表  藤 井  克 徳





 津久井やまゆり園事件でいのちを奪われた19人への鎮魂の時を過ごす中で、いのちを軽視する衝撃的な事件報道に接することになった。ALS(筋委縮性側索硬化症)の疾患をもつ京都市の女性が、SNSで知り合った2人の医師によって殺害されたとされる。

 絶望と孤独の中にあったことは想像に難くない。この女性の死に直面し、改めて絶対的な価値である「いのち」について向き合いたい。
 病気や障害によって、これまで通りの仕事や生活が困難になり、将来が閉ざされた時、人は言いようのない行き詰まりを覚えるに違いない。女性の場合も、「死にたい」と漏らしていたという。しかし、これは「生きづらさ」の裏返しであり、この「生きづらさ」にこそ問題の本質が潜んでいるのである。

 考えるべきは、いわゆる「安楽死」や「尊厳死」の議論ではなく、生きたいという思いに立ち塞がる今日の社会、あるいは生きる権利そのものを否定する大きな障壁こそが問われなければならない。ただし、今回のそれは、「安楽死」「尊厳死」とも一線を画すものであり、2人の容疑者による明らかな殺人であり、決して許されない違法行為とみるべきである。優生思想との関係を論じる報道もあるが、動機や背景の徹底究明を求める。

 私たちの社会は、生産性を重んじる風潮がますます強まっている。また、つい20数年前まで優生保護法が効力を有し、生まれてよいいのちと生まれてはいけないいのちの選別が行われていた(被害者は約25,000人)。そのようななかで、障害や病気があることは可哀そうというパターナリズムが社会に深く根を下ろしている。女性の、絶望感や「生きづらさ」はこうした風潮と無関係とは言えまい。容疑者の行為は論外として、社会の風潮については、市民一人ひとりが真剣に考えるべきであろう。

 障害者権利条約第10条は、「すべての人間の生命に対する固有の権利を有すること、その権利を享有するためにすべての必要な措置をとること」とあり、同じく第17条には、「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」と明記している。生きづらさがあっても、生きていてよかったと思える社会を創ることは、国と自治体の責任である。私たちも、生きやすい社会を創り合うことに、努力を尽くしていきたい。

                     

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