16年8月16日更新
○JDは8月5日、相模原の障害者施設での殺傷事件についての意見をまとめました。
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2016年8月5日
NPO法人 日本障害者協議会(JD)
代表 藤 井 克 徳
去る7月26日、相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」での殺傷事件は、多くの人々を震撼させています。突然、いのちを奪われてしまった19人の方々に心から哀悼の意を表します。また、いのちはとりとめたものの、心や体を深く傷つけられた方々の一日も早い回復を祈ります。
事件から1週間余が経過しますが、容疑者の状態や背景など、事件の全体像は今なお詳らかではありません。これまでの報道などをもとに、現時点での見解を述べます。
この事件は、抵抗するすべのない重度障害者を標的とした、類をみない残虐な殺人事件です。私たちは絶対に許せません。
容疑者の衆院議長にあてた手紙文の「障害者は生きていても仕方がない」「安楽死させた方がいい」は、ナチス政権下でくり広げられた「価値なき生命の抹殺作戦」(T4作戦)と重なります。ここでの「価値」の基準は、働く能力や社会への負担の度合いとされました。今回の事件は、こうした優生思想を彷彿させるものがあります。そればかりではなく、かつて国連が明言した「障害者を閉め出す社会は弱くもろい」や、障害者権利条約にある「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」(第17条)をも否定するものです。
きわめて特異な事件ではありますが、あえて日本社会の現実と重ねてとらえてみたいと思います。現代の社会を端的に言えば、「格差社会や不寛容社会への急速な傾斜」であり、閉塞感や不透明感を抱く人が増えているように思います。そんな中にあって、社会や経済のひずみやしわ寄せが社会的に弱い立場にある者に集中的、集積的に及んでいます。こうした社会構造の変容と今回の事件が無縁かどうか、市民社会全体としても真摯に向き合い、問い続けていくべきかと思います。
容疑者には精神科病院の措置入院歴があると報道されています。医療支援の適正さを含む事実経過についての検証が求められます。同時に、強く戒めたいのは、短絡的な社会防衛策の強化に走ることです。「政府として措置入院制度のあり方を検討する」旨の報道がありますが、本質を欠いた拙速で対症療法的な対応には同意できません。短絡的で本質を欠いた政策は、精神障害関連政策に新たな混乱を持ち込み、精神障害者への偏見や差別意識を助長する以外の何物でもありません。事件と「見直し」を関連づけるような政策手法がくり返されてはなりません。
また、防犯策の強調にもしっくりこないものがあります。むろん、防犯策そのものは軽視できませんが、それは障害のある人が地域で暮らすための条件の飛躍的な拡充策と合わせて強調されるときに、その趣旨が生きるというものです。防犯策のみの強化は、地域社会との隔絶を強める新たなきっかけになりかねず、緊急策とは言え「施設から地域へ」という大きな流れに逆行することがあってはなりません。
まずは、容疑者に焦点を当て、言動の背景や動機など、真相の究明を徹底して求めます。そのうえで、事件の発生や拡大に、現場での不備がなかったか、行政上あるいは政策上の弱点や盲点がなかったか、想定されるあらゆる角度からの冷静かつ厳正な検証が図られなければなりません。
なお、報道で犠牲者の氏名を伏せていることは気になります。この国で事件や事故で死亡した場合、氏名の公表は通例です。犠牲者の氏名ならびに個々の情報によって手の合わせ方も変わり、今のような状況では一人ひとりの死を悼みにくいのではないでしょうか。社会通念からも強い違和感を覚えます。
心の傷は、「津久井やまゆり園」の関係者は言うに及ばず、日本中の知的障害者や精神障害者をはじめ、障害のある人すべてに及んでいます。同様に、家族のみなさんに与えた衝撃も計り知れません。障害のある人や家族のみなさんは、萎縮することなく、顔を上げていつも通りの生活を送ってください。また、支援者のみなさんは、障害のある人や家族に丁寧に接し、励まし、個々に応じた特別な支えを心がけてください。地域社会のみなさんにも、普段と変わらない接し方を呼びかけます。
19人のいのちが戻ることはありません。しかし、私たちにはできることがあります。それは、今回の事件を、すべての人びとが大切にされるインクルーシブな社会(わけ隔てのない社会)をつくるための新たなきっかけにすることです。このことを市民社会みんなで追求していくと共に、私たちとしてもこれまで以上に主体的に取り組むことを決意します。
以上
◆相模原の事件に関する藤井代表のインタビュー動画ほかはこちらのページからご覧いただけます。
http://www.jdnet.gr.jp/opinion/2016/160729.html
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