障害の種別や立場、考えの違いを乗りこえ、障害のある人々の社会における「完全参加と平等」や「ノーマライゼーション」の理念を具体的に実現することを目的として、各種事業を全国的に展開しています。

20年1月29日更新

2020年「すべての人の社会」1月号

2020年「すべての人の社会」1月号

VOL.39-10 通巻NO.475

JD40周年の年頭にあたって

NPO法人日本障害者協議会代表 藤井 克徳

 2020年が始まりました。今年を見渡すとどうでしょう。ほとんどの人は、「2020年」の響きにオリンピック・パラリンピックを重ねることでしょう。オリ・パラは、今年のカレンダーの中ほど過ぎにドカッと座り、日本社会全体がこれを軸に動いていくような雰囲気です。世界最大のスポーツの祭典であり、国境を越えて卓越した技や記録に拍手を送ることは決して悪いことではありません。

 他方で、2020年は、障害分野や社会保障全体からみると、歴史の節目に当たり、また重要な分岐点が待っています。熱狂や高揚感の中に、特段の冷静さや注意力を忘れてはならないのも2020年ではないでしょうか。

 主な節目や分岐点をあげると、自立支援法違憲訴訟に基づく基本合意から10年(年明け早々に関連企画)、「津久井やまゆり園」事件・植松聖被告人の公判開始(判決は3月に予定)、優生保護法被害問題の控訴審(判決は上半期に予定)、全世代型社会保障改革関連法案の上程と審議(通常国会にて)、障害者権利条約に基づく日本の報告書の審査(ジュネーブの国連本部で、夏に予定)などとなります。

 いずれも重いテーマであり、個別ごとの丁寧な対応が求められます。乗り切り方を誤れば、この国の人権政策や障害者政策の基準値の低下につながりかねません。

 もう一つ気がかりなことがあります。それは、憲法改正の動きです。古今東西を問わず、為政者の常套手段とされるのが、国民に不都合な政治課題を超巨大のイベントに紛らわすことです。憲法改正の行方は障害分野にも大きな影響をもたらします。どさくさ紛れは許されません。厳し過ぎるくらいの注意力を働かせていく必要があります。

 なお、私たちの日本障害者協議会(JD)にとっても今年は格別の年となりそうです。1980年4月19日に誕生したJD(当時の名称は、国際障害者年日本推進協議会)、今年で40周年を迎えます。節目という高台に立ちながら、みんなで手をかざして足跡を振り返り、近未来を眺めるのもいいのではないでしょうか。12月には記念事業を予定しています。JDらしい交流と語らいの場を作れればと思います。会員のみなさんはもとより、広く関係者の参集を期待しています。

 あわただしさと不透明さの入り混じる2020年となりそうですが、障害者権利条約をベースに、障害のある人たちの実態とニーズに立ち返れば、進むべき道は自ずと開かれるに違いありません。本年もよろしくお願いします。

新春鼎談 国会に新風!!障害者政策の地平を拓く 新たな価値創りの期待にこたえたい

木村 英子(参議院議員) * 舩後 靖彦(参議院議員) * 藤井 克徳(日本障害者協議会代表)


木村さん、舩後さん、藤井代表の写真
左から木村さん、藤井代表、舩後さん



 木村英子さんと舩後靖彦さんは、2019 年7月21日投開票の参議院選挙に、新政党のれいわ新選組から比例代表で立候補し、この時から導入された特別枠でそろって当選。木村さんは脳性まひ、舩後さんはALSという重い障害があります。当事者議員が2人同時に誕生し、たちまち"時の人"となりました。多くの障害当事者の間では問題の大きさを共有されながらも、くすぶっていた、重度訪問介護の問題もあっという間に世の中に広まり、風穴が開くのではとの期待も高まっています。
 社会保障の制度が大きく動く気配の2020年、東京ではオリンピック・パラリンピックも開催されます。 この年のはじめに、お二人の新人議員と藤井代表との鼎談を行いました。発声が不可能な舩後さんは、予め用意された文面を秘書が代読される場面もありましたが、文字盤を使いながら、その場で対応いただきました。


◆重い障害のある議員誕生―歴史的な出来事

藤井:あけましておめでとうございます。 お二人にとって、国会議員として初めての新年ですが、どんなお気持ちで迎えられたでしょうか。
 さて、私は法律を中心とする政策は、時として何を作るかより、誰が作るかが大事ではないかと考えています。典型的なのが障害者権利条約(以下、権利条約)です。"私たち抜きに私たちのことを決めないで"のフレーズに象徴されるように、制定の過程で国際NGOの代表を中心とする障害当事者が審議に参加できたことがとても重要でした。そうでなかったら権利条約の値打ちはこれほど上がっていなかったのではないでしょうか。
 お二人が参議院議員になられたのは日本の政治史にとって大きな出来事であり、また障害関連政策の地平を拓く上でもかけがえのない役割を果たしてくれるように思います。今日はそんなことを踏まえながらお二人にお話を伺いたいと思います。
 まず、参議院議員に立候補された決め手は何だったのでしょうか。舩後さんからお願いします。

◆障害者のフロントランナー

舩後:私は41歳の時にALSを発症し、余命3~4年と宣告されました。医師から人工呼吸器を付ければ延命できると言われましたが、全身がまひし全ての事に人の手を借り、呼吸器を付けて生きる姿を受け入れられず、2年間は死にたいとしか思えませんでした。
 しかし、ALSを発症したばかりの患者さんに自分の経験を話すピアサポート活動の中で、初めて、自分が病を得て生きる意味を発見でき、心の底から「生きたい」という欲求が湧いたのです。どんなに辛くても心までは誰にも束縛されません。
 そして、呼吸器を付け、ALSを生きる道を選択しました。こうした経験を通じ、苦しみを感じて生きている人を励ますことに生きがいを感じるようになったのです。
 一方で、施設時代のネグレクトや地域生活を始めてからの不適切なケアを経験し、障害者が不幸な社会はおかしい、障害のあるなしにかかわらず、誰もが幸せを感じられる社会をつくらなくてはと考えるようになりました。その延長線上で、2014年、松戸市議選に挑戦しました。落選しましたが、その後も議員になってみたいという漠然とした思いはありました。「誰もが、生まれてきてよかったと思える社会を創るには、政治が最強」という思いが消えなかったからです。
 そうした中、れいわ新選組の山本代表の「人の価値を生産性で測ってはいけない」という言葉は、自分自身でも大学の講義で話していたことでもありました。当たり前のように話す代表から参議院議員選挙への出馬を依頼され、そのメールにあった「障害者のフロントランナーになってもらえませんか」という言葉に動かされ、決断しました。

藤井:非常に深みのあるお話です。舩後さんは元は商社にお勤めだったと伺っています。商社はまさに生産性のフロントランナーそのものだと思います。ずいぶんと立場が変わったのではないでしょうか。ご自分の中の過去と今とを比べて、その転換をどのように感じていますか?

舩後:それまでは副社長をめざして意気込んで活動していましたが、徐々に動かなくなる体に絶望して先が見えなくなり、文字通り、絶望の淵に立たされました。

藤井:木村さんも、立候補に当たってはいろいろと考えたのではと思います。決断に至った思いを聞かせてください。

木村:私は養護学校を卒業して19歳の時、家出同然で地域に出ました。卒業後の施設が決まっていたんですが、小さい時から施設で生活していて、施設での虐待を死ぬまで受けるのは耐えられないと飛び出して35年経ちました。その間、障害者の先輩、例えば府中療育センター闘争を闘った新田勲さんや三井絹子さんなどに運動のノウハウを教えられました。制度がまだ整っていない時代でしたので、東京都や厚生省、各自治体で介護保障に対する運動をしている先輩たちの背中を見ながら育ちました。運動しなければ生きていけない状況でした。
 今も要求者組合という活動をしているのですが、相談に来られる障害者一人ひとりに対応し、その方の住む自治体に交渉していく中で、れいわ新選組の山本太郎さんと出会い、「自分は障害がないので本当の意味で差別が分からないことも多い。重度障害の当事者が国会に立つことで、生の声を、実態を伝えることで、現状を変えていけないだろうか。」と話され、その時はすごく迷いました。体力的に、国会活動や選挙活動に耐えられるか、私のような無名の重度障害者が選挙に受かるとも思いませんし…。
 でも、介護保険と統合されようとしている障害者制度の中で、私を含め逼迫した状況に日々さらされている仲間たちを支えていくため、運動はしているけれど、運動だけではとても改善できない大きな壁があるので、もし、奇跡が起きて国会に立てるとしたなら、少しでも現状を変えていけるのではないかという思いと、多くの仲間の後押しもあって決断しました。

藤井:舩後さんも木村さんも決して奇跡ではないと思います。ご本人が持っている実力や人柄も含めての当選ではないでしょうか。昨年7月に当選が決まった瞬間、そして最初の登院、議場に入ったとき、初めての質問を終えた時、それぞれの段階での心境はどうでしたか?

木村:私は夜中の3時くらいまで決まらなくて、先に舩後さんが決まりました。重度障害者が一人でも入ればいいと思っていたので、当選して複雑な気持ちでした。嬉しいということはなく、これから本当の戦いが始まる、覚悟を決めなければ、という思いが湧き上がりました。

藤井:最初の登院はどんな気持ちで臨んだのでしょうか。

木村:重度訪問介護の制度は、就労を認めていないため、国会議員の私に介護をつけることが認められなければ登院しないと言ってましたので、登院するかどうか、テレビなどで報道されました。国会議事堂の門の前に行ったら、もう何と言うか…、報道陣に囲まれて揉み合いになり動けない状態で、車からリフトで降りるのもかなり大変で、降りたら囲まれ、もみくちゃになりながら国会に入りました。こんな大変な状態を初日から味わってしまい、なんとも複雑な気持ちでこれから大変だなという気持ちしか思い出せないですね。

木村:介護がないと生きていけない人が仕事に就こうとした時、介護が認められていないことを世論が何も知らない、知らないからこそこんなに驚かれている現状への怒り、障害者の自立が40年以上も前から叫ばれているにもかかわらず、障害者が働く権利があること、働く場での介護が認められていないことが知られていないことに愕然としたのが正直な気持ちです。

藤井:もみくちゃは大変でしたが、それだけ注目度が高かったわけですね。
 お二人とも初質問は終えていますが、質問が終わった時の感じはどうでしたか?

木村:私は、自分の現状をそのまま、国土交通大臣と(国土交通)委員会にお伝えしました。トイレひとつとっても、障害者は自由に入れない、入れても、多機能トイレだといろいろな人が使うので、肝心の車椅子の人が使えない状況を、細かくお話ししました。そのことに大臣がとても心を痛められ、改善を進めていきたいと仰ってくださってとても嬉しく思いました。

藤井:舩後さんも議員として始動しましたね。初登院、そして初質問を終えた今の心境はいかがですか。

舩後:皆様のご支援とご協力のおかげで憲政史上初の人工呼吸器利用の参議院議員として国会に送り込んでいただいたことに感謝しています。私が議員活動をするには、国会内のバリアフリー化、文字盤読み取りの申し入れ、音声読み上げのためのパソコン持ち込み、採決時のボタンを介助者が押すこと等と、声の出せない私が障害のない議員と同様に議員活動をするには多くの課題がありました。その合理的配慮を参議院側に丁寧に対応いただきました。また、文字盤読み取りへの対応は現在協議中です。所属する文教科学委員会の委員の皆様のご理解で合理的配慮をいただき、質疑を実現することができて感謝しています。
 偶然ですが、10月4日の臨時国会召集日は私の誕生日でした。障害者を含む誰もが幸せになれる社会実現のために取り組んでいく決意を新たにしました。11月7日に文教科学委員会で初質問をしました。質問内容は、消費増税問題、インクルーシブ教育への転換、大学入学共通テストで導入される英語民間試験における障害のある受験生に対する合理的配慮がバラバラであるということを取り上げました。自分では合格点をつけたいと思っています。

藤井:お二人の話から共通に感じるのは、差別の反対は何だろうということです。一般には、差別の反対は平等ですが、私の持論は「差別の反対は無関心」です。お二人の当選は、多くの市民に関心を持たせたという視点から、とても大きな意味があったと言いたいです。

◆暮らしと心境の変化

藤井:次の質問に移りましょう。お二人は国会議員という立場になられ、相当な負荷がかかっているはずです。生活面も一変したのではないでしょうか。この5か月余りの暮らしぶりを伺いたいと思います。

舩後:以前は松戸から通っていたので時間的にも体力的にも大変でしたが、10月21日に議員宿舎に入り、心が安定したようです。それまでは週1、2回の外出でしたが、現在はほぼ毎日外出するようになりました。質問作りや面会などで多忙な日々ですが充実しています。

藤井:当選前と比べて多忙さは雲泥の差かと思います。身体面と精神面の両方が心配ですね。

舩後:体調ですか…介助者(看護師)が回答〔疲れているようですが、生き生きとしていて、やる気がみなぎっていると私達は感じています。外出が増えた分、熟睡感も違うようです。〕

藤井:木村さんはいかがですか。おそらく一変したのではないでしょうか。

木村:そうですね。ご承知のとおり、重度訪問介護は労働が認められていません。それ以前に障害者の社会参加そのものが認められていません。社会通念上適当ではない外出、のような文言が入っていて、社会参加が認められない現状で、重い障害を持ったまま自立したい時、仕事はほとんどないのです。だから私にとっては、自立生活を始めてから国会議員が初めての仕事です。 35年経って仕事に就けたというところです。ただ、障害者が地域で当たり前に生きるための介護保障や地域を作っていく活動をしてきましたので、その目標・目的に向かっての仕事が国会議員になって倍増した、というところです。国会議員となると、仕事のペースに自分の体調を合わせなければならないので、正直、体はとてもきついです。
 激務すぎて何をしているのかよくわからない状態の時もありますが…、私を応援してくれた多くの障害者の人達に応えていくことを念頭に置いて、使命感のような思いで、気持ちを奮い立たせて活動しています。

◆縦割り行政を変えたい

藤井:参議院議員の任期は、今期だけでも6年間あります。まずは体をいたわることですが、そのうえで大きな目標に向かってください。また、議員活動のあり方も変えてほしいですね。女性の議員の中には、子育ての最中にいる方も少なくないはずです。お二人の存在は、議員活動のあり方を変えていく上からも大きな意味があると思います。
 お二人が緊急に訴えていることの一つは、国会議員という仕事にあたり、重度訪問介護制度などの福祉施策を利用できないかということですね。政府の公式な見解は、依然として利用できないということで変わっていないようです。縦割り行政の典型です。この労働施策と福祉策の一体化について、あらためて基本的な考え方を聞かせてください。

木村:行政は縦割りですが、当事者は、地域で生きるための権利の保障を要求していくしかありません。そもそも、一人の人間が生きていく時に縦割り行政が壁になるということ自体、人権侵害です。障害者が国会議員になることで縦割りの壁があることが浮き彫りになり、国民の皆さんに知ってもらい、世論が巻き起こっています。1981年の国際障害者年からノーマライゼーションが叫ばれ、働くことが人として当たり前であることが認められているはずなのに、障害者だけ、しかも介護の必要な重度障害者がずっと権利を奪われてきた事実に怒りがあります、重度障害者が置き去りにされてきたことに。これから多くの障害者が、労働でも就学においても、さらには、自分の好きな場所に、好きな時に行ける権利が保障されるように活動していきたいと思います。

藤井:もともと法制は、人のために作ったはずですが、いつの間にか人が肩をすぼめるようにして法制に合わせたり、政府の都合に合わせるようになってしまいました。本末転倒と言っていいと思います。船後さんの見解はいかがでしょうか。

舩後:重度訪問介護の法改正については(包括的な答えですが)、全ての障害者がより利用しやすい介助制度の構築、必要な医療を受けられる体制の整備、とりわけ重度訪問介護を、就労・就学にとどまらず、 旅行等にも利用できるようにする。また、常に医療的ケアを必要とする人に対しては、地域での在宅医療サービスの充実を実現したいと思います。

藤井:実は、この問題は、2010年から2012年にかけての障がい者制度改革推進会議でも議論になりました。政府(労働部署)の見解は、「個人の経済活動に福祉施策は使えない」の一点張りでした。先ほど木村さんが言われたように、人間まで縦に分けるような考え方が続いています。お二人への今回の対応は、政府ではなく参議院という職場が緊急に手当てをしたという感じですが、本丸は政府です。この問題で困っている障害者は少なくなく、障害分野全体としても今後の成りゆきを注目していると思います。

木村:障害者は制度を使う側、国会、議員は制度を作り施行する側です。この立場に、来るはずのない障害者、しかも重度の障害者が来てしまったので慌てて、参議院で当面の間は介護費用を持ってくれる、でもそれは永久ではない。そこで浮き彫りになるのは障害者の人権だと思います。
 重度の障害者が地域へ出るというだけで様々な壁があります。制度の保障がない、バリアがある、心のバリアもあり、なかなか障害者を受け入れてもらえない雰囲気があります。障害者はいつも差別される経験をしながら生きているのですが、そういう存在が国会議員になった途端、想定外で当選した以上、その人が働ける環境を作らなければいけない状態になって、障害者の権利や保障を考えざるを得なくなったのだと思います。
 今はできることを頑張ろうと思っています。重度訪問介護を、介護の必要な全ての障害者が使えるように、人権が守られるように、(仲間の)サポートを受けながら一緒に政策を作っていきたいと思います。

◆権利条約を浸透させるために

藤井:次に、権利条約について考えてみたいと思います。障害関連政策を論じるとき、最大の規範となるのが憲法と並んで権利条約かと思います。権利条約が日本社会に真に浸透した時、間違いなく社会の風景は変わるはずです。残念ながら、現状は浸透とはほど遠い感じです。どうすれば浸透できるのか、この点の考えを聞かせてください。

舩後:今年の夏に予定されている権利条約の日本の審査・勧告は、日本の障害者法制度や政策をよくしていく大きなチャンスだと思います。パラレルレポートをまとめ、昨年の秋はブリーフィングにも取り組まれた日本障害フォーラムの皆様に敬意を表します。しかし、残念ながら国民一般はもとより障害者の間でも権利条約の中身はおろか条約の理念すら浸透していないのではないかと思います。
 そういう状況で、木村議員、横沢高徳議員と私が障害のある参議院議員として国会に入ったことは、まさに"Nothing about us without us"(私たち抜きに私たちのことを決めないで)という権利条約策定過程の理念を体現していくものだと思います。 障害の有無にかかわらず、様々な方の意見や要望を国会の場に伝えていく時、権利条約の理念を念頭に置いておきたいと考えています。

藤井:まずは国会に浸透させていくことも重要ですね。木村さんの考えはいかがですか。

木村:日本が権利条約を批准しても、障害者差別解消法という名前ですね。差別禁止ではない。やはり選択議定書の批准などを果たさないと、なかなか改善されないと思います。差別の事例については、内閣府に相談があったらそれを公開し、守らない場合は勧告し、公表するというところまで来ていますが、その相談窓口がよくわからない、差別の被害にあっている障害者が沢山います。泣き寝入りになる状況もあるので、罰則規定のある法律に変えていかないと人権が守られないと思います。

藤井:権利条約がもたらすものは少なくありません。障害者差別解消法の誕生もその一つです。しかし、体裁はともかく、その内実は権利条約の考え方とはだいぶずれがあるように感じます。今の話は、権利条約に沿って本物の「障害者差別禁止法」にしていかなければならないということですね。

木村:そうです。例えば建物のバリアフリー化などは目に見えますし、今年はパラリンピックもあるので、世界中の障害者を迎えるため都市部は整備されるかもしれませんが、全国的にはまだまだ、どこにでも安心して行ける状況ではありません。障害者が外に出られない環境を、制度的に作っている以上、障害がある人と障害のない人がふれあう機会もありません。当たり前に共に暮らせる環境作りのための法整備が必要です。

藤井:私が大好きな条文の一つは第17条です。そこには、「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」とあります。社会の基準に無理に這い上がるのではなく、社会の側が障害のある人の実態やニーズに近づきなさいと言っているのです。こうした考え方は、多くの国会議員に知ってほしいですね。

◆自立・自助ということ

藤井:とくにこの10数年間、政府は「自立」「自助を」を強調しています。こうした自立観は、辞書にあるような「他人の力によらず自分で立つこと」に近いと思います。私は、こうした自立のとらえ方は狭すぎると考えます。お二人の自立のとらえ方はいかがでしょうか。

木村: 全て自分でやることを自立とする考え方では、障害者はとても生きていけない社会ですよね。どんな障害があってもその人が望むことを実現できることが自立だと思います。人の手を借りて夢を実現することも自立だと思いますし、そういう社会になってほしいと思います。

舩後:藤井さんが言われたのは、自らを律する「自律」だと思います。障害者は肉体的な助けを必要としても、心は凛とすることができるものだと思います。

藤井:「自立」の文字の成り立ちについて考えてみました。特に「立つ」についてですが、「霧が立つ」「匂いが立つ」などと用い、暦の月初めの「一日」(ついたち)も元々は「月立ち」と表したそうです。それらの意味は、「霧が見えてきた」「だんだん匂ってきた」、「月初めが見えてきた」というもので、要するに「らしくなってきた」というものです。これに「自」を組み合わせれば、「自らがみえてきた」、さらには「自分らしさを感じる」につながると思います。こうした考え方に立てば、どんなに障害が重くてもその人なりの「自立」はあるのではないでしょうか。
 さて、もう一つ大きなテーマですが、障害分野とも深く関わる問題として「安楽死」があげられます。欧米でも議論が高まっています。これについての考えはいかがでしょうか。

舩後:冒頭にお話ししましたように、私はALS と宣告されて当初は死ぬことばかり考えていました。それが前向きな心境に変わり、人工呼吸器をつけて17年経ちました。医療・介護体制があれば生活できることを知らされず絶望に陥っている方もいらっしゃいます。人は経験したことのない事は受け入れ難く、恐れ、思考停止になってしまいます。そうした状況で安楽死、尊厳死という言葉に吸い寄せられてしまう気持ちはわかります。でも必要なのは尊厳ある死の法制化ではなく、どんなに重い障害や病気があろうとも尊厳ある生を生きられるためのサポートや制度、医療資源の充実だと考えます。

木村:難しい問題です。自分の命を断つ権利があるかないかという以前に、重度の障害者は自分で命を絶つこともできないわけです。人工呼吸器を外してくれと言えば死ねるのかもしれないけれど。日本がもし、安楽死を認めてしまったら、多くの人が殺されちゃうのではと思います。私の友達には知的障害の人も多く、意思疎通にはかなりの時間を要します。お互いが心を開いて意思疎通できるまでには時間がかかります。医師や看護師さんに、死にますか、と聞かれて安易に答えて殺されちゃう場合もあるわけですよね。
 自分の意思での選択は大きな目標ではありますが、自分で死ぬ権利を制度化するために、選択肢だけが美化され、知的障害や認知症の人が自分の意思を伝えることができずに命をなくしてしまうことになる問題があると思います。ですが、この制度があった方がいいかと問われた時に自分の意思をきちっと表明することが難しい方や、それを受け取る側が正しく受け取らなかった場合、死を選択したのではなく、殺人になってしまう危険があるので、深く考えなければならない問題だと思います。

藤井:障害分野をめぐっては難題や問題点が山積です。お二人とはこれからも議論を重ねていきたいと思います。
 最後になりますが、本誌の読者やJDの会員へのメッセージをお願いできますか。

舩後:我々の共通目的は幸福になることです。一緒に幸せをつかむために全力疾走いたしましょう。

木村:私たちが国会議員になってやっと、介護の必要性や介護が必要な人が使えない制度があることを知られるようになりました。各団体はそれぞれの理念で運動していると思いますが、介護制度も介護保険も、縮小に向かっている現状です。障害者が地域で当たり前に生きられる権利や制度を整えていく過程には、各障害団体が一丸となって運動していくことが求められていることを今、改めて実感しています。皆さんよろしくお願いします。

藤井:まもなく通常国会が始まります。お二人の連携はもちろんのこと、他の障害に関連した議員とも力を合わせ、「新しい国会」を創っていってほしいと思います。全国のたくさんの障害のある人が声援を送っていることを忘れないでください。ご活躍を期待しながら、新春鼎談を閉じたいと思います。

2019年12月の活動記録・講師派遣


連載:優生思想に立ち向かう

第11回堕胎罪―優生(母体)保護法という人口政策
大橋 由香子(フリーライター/優生手術に謝罪を求める会/SOSHIREN女のからだから)




トピックス・インフォメーション・読書案内




障害者権利条約 事前質問事項(List of Issues)と今後


佐藤 久夫(日本障害者協議会理事)




JD40周年

真の「共生社会」実現をめざし、さらなる運動を進めよう
藤岡 毅(弁護士/障害者自立支援法違憲訴訟全国弁護団 事務局長)




基本合意10年

障害者自立支援法違憲訴訟運動と基本合意10年と今後
伊東 弘泰(日本アビリティーズ協会会長/障害者の差別の禁止・解消を推進する全国ネットワーク会長)




表3インフォメーション

JD連続講座2019年度2020年、あやうい社会保障・暗雲の全世代型
-「権利条約」「基本合意」「骨格提言」を開花させるための行動を!-




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