障害の種別や立場、考えの違いを乗りこえ、障害のある人々の社会における「完全参加と平等」や「ノーマライゼーション」の理念を具体的に実現することを目的として、各種事業を全国的に展開しています。

19年1月29日更新

2019年「すべての人の社会」1月号

2019年「すべての人の社会」1月号

VOL.38-10 通巻NO.463

年頭にあたって

NPO法人日本障害者協議会代表 藤井 克徳


 かつて国会・参議院は、障害者権利条約の批准を控えて参考人を招いた(2013年11月28日)。参考人の一人として意見陳述に立った私は、その最後でこう締めくくった。「日本において、権利条約に恥をかかせないでください」と。

 残念ながら、早々に恥をかかせる事態に出くわしている。昨年一気に噴出した優生保護法の被害問題や障害者雇用の水増し問題は、このことを象徴するものである。優生保護法の問題で言えば、政府は一貫して「当時は適法だった」を繰り返してきた。水増し問題に関する厚労省の検証委員会は、「省庁の意識や関心の低さが主因」で逃げ切ろうとしている。もし、こうした論理がまかり通るとすれば、国を動かす公務員のさじ加減で違法行為はやむを得ないことになってしまう。言わずもがなだが、権利条約の魂とも相容れない。恥をかかせるどころか、切々とした泣きじゃくりが聴こえてきそうだ。

 昨年表面化したこれら二つの事態をいかに乗り切るか、乗り切り方はそのままこの国の障害関連政策の基準値に直結しそうだ。すなわち、乗り切り方を誤れば基準値は低下し、逆に、歴史に恥じない乗り切り方をすれば基準値は引き上げられるに違いない。ここは、障害者政策の基準値に関わる問題であり、中途半端で不透明なままでの幕引きは許されない。私たちJDを含む障害団体も、その対応が問われることになろう。

 さて、今年も障害分野に関連して重要な節目が重なる。主なものとしては、精神病院法制定100年、身体障害者福祉法制定70年、養護学校義務制実施40年、障がい者制度改革推進本部(会議)設置10年などがあげられよう。数字の節目には不思議な力が備わる。節目の力を借りながら、これらのそもそもに思いを馳せ、現状や実態、あるべき方向を深め合うのもいいのではなかろうか。

 今年から来年にかけて、超大規模な国際イベントが目白押し。国全体が浮足立ちになりそうだ。そんな中で、障害分野の本質問題がぼやけるようなことがあってはならない。喫緊の課題としては、定時改正の時機を過ぎている障害者基本法と差別解消法の改正作業に着手することである。また内なる課題としては、権利条約に関わってのパラレルレポートを仕上げることだ。障害関連政策の総点検と一体の取り組みになる。これまでに増して気を引き締めていかなければならない。大事な大事な2019年になりそうだ。

新春インタビュー 障害者権利条約の立役者ドン・マッケイさんに聞く
 障害者団体と次世代への期待

ドンマッケイさんと藤井代表

ドン・マッケイ:国連障害者権利条約特別委員会元議長
聞き手:藤井克徳:日本障害者協議会(JD)代表

ドン・マッケイさんは、国連障害者権利条約特別委員会の2代目議長として、難航する議論をとりまとめた、権利条約制定の立役者と言える方です。2014年に権利条約を批准した日本政府は、締約国報告を2016年の6月に国連に提出しました。これに対し、民間団体が提出できるパラレルレポートについては本誌でも繰り返し連載しているように、JDFなどで取り組まれています。そして来年2020年春には国連障害者権利委員会での日本の最初の審査(建設的対話)が見込まれています。このような時期、マッケイさんの来日の機会に、藤井代表がインタビューしました。

■権利条約採択の瞬間を振り返って
藤井:障害者権利条約が出来あがって12年余り経ちます。改めて、特別委員会の議長という大役を担われたドン・マッケイさんから、2006年の8月25日、仮採択された瞬間の、あの時の気持ちを思い起こしていただけますか?

マッケイ:信じられないような気持ちでした。あれだけの長いプロセスが最後の地点までたどり着いたことは、現実ではないようでした。あの会議場にいたみなさんが同じように感じたのではないかと思います。あの2週間の会議で最終的に成果が出たのは本当に信じられない気分でした。私は、それまでも重要な国連の会議に出ていましたが、たいていは、最終の段階で、まだいくつか決定されていない事項が残っています。それは、難しいからこそ残されていたということです。
 権利条約についても、あの時点で解決しなければならない課題や問題点はいくつもありました。ですから、2週間で本当に話しきれるのかと思っていました。でも、もう1回(1回の会期は、通常2週間)やるとなったら、今、みなさんが持っている気持ちが弱まってしまうと思ったので、機運が一番高まっている時にこそ、決めなければと思いました。
 各国政府も、予想以上にさまざまな点で合意してくれたと思います。

藤井:私もあの時、傍聴席にいて、鳴りやまない拍手、そして口笛とか、足踏み音がどぉっと続いていたのですが、まさに夢と現実のはざまにいるような、そんな感覚を味わいました。歴史が動いたなぁという実感でしたね。
 そこで伺いたいのは、あの特別委員会を重ねた長い期間にあって、いくつも苦しい局面があったと思います。主なものをいくつか挙げてもらえますか?

マッケイ:それは初期の頃です。初期の頃は目を通さなければいけない文書がとにかくたくさんありました。と言いますのは、私も一緒になりながら作業部会で草案を作ったのですが、それを元に各国が「これについてはこういうふうにしたほうがいい」などの文書が出されてきました。また、各国だけではなく地域ごとに、「これを追加してはどうか」などというのもありました。アジア・太平洋地域からも重要な文書が提出されました。
 通常、読むべき資料は徐々に減っていくものですが、この特別委員会に限っては、やればやるほど、資料が増えていきました。本来であれば、交渉の中で問題点を減らし、最終的にここが到達点、というところに来るものです。しかし、権利条約の時は、提案の数、出てくる問題の数、これが減るどころか膨れ上がっていったという、そういう大変さがありました。権利条約は、それだけ熱心さがあったのだと思います。

藤井:マッケイさんは国連の軍縮会議や、海洋関係の会議も仕切ってこられましたが、そういった他の会議との違いはありましたか?

マッケイ:はい、いくつか根本的に他とは違う点がありました。その一つは市民社会団体(障害当事者団体)が果たした役割です。これは、本当に他ではないことでした。といいますのは、多くの場合は政府が主に議論し、市民社会団体は後方の席に座り、何か聞かれることがあったとしても、政府が話した後にちょっと話して、どちらかというと脇に追いやられているような感じでした。
 けれども権利条約に関してはまさに、市民社会団体の代表が中心的な役割を果たしていました。そうするためには、いくつかの国連の手続き、ハードルを越えなければなりませんでした。途中で、「市民社会団体が少し話し過ぎではないのか」などの不満を言う国もありましたが、ほとんどの国はむしろ心地よく思っていたと思います。
 また、会議自体の規模が大きかったのも特徴点です。先ほども話しましたように、文書の数なども全部含めて、多量でした。 さらに、他の会議と比べて勢いがあったのも大きな違いです。最初の頃の相違点を乗り越えた後は、政府も含めて、いろいろと細かい事はありましたが、みなさん、何らかの結論を出したいという意気込みがあったと思います。みなさんが、この議論の結果から何かを得たいと思っていたので、止めようとする人はいませんでした。と言いますのも、他の会議などでは、成果が出てくる頃になると利害が表面化し、決まって足を引っ張るような議論が起こってくるのです。

藤井:とりまとめに関しては、なんといってもマッケイ議長の手腕によるところが大きかったと思います。特別委員会を進めていくうえで特に大事にしていたことをお話しください。

マッケイ:そうですね、私はフランクでオープンな会議にしようとしました。政府代表の中にはそう思わない人もいるのですが、私は、障害者団体の人と接するときもそのようにしていました。そういう点では私は、どちらかというと活動的な議長と言えると思います。つまり、ただ座って、「次の方どうぞ」と発言を促すだけではなく、私自身が参加して関わって共通の結論に到達しようという努力をしてきました。
 ただ、国によっては、そこまで議長がする必要があるのか、やりすぎではないかという批判めいた意見もありました。エジプト政府の代表は、私の議長のやり方を批判して、「あなたは議長なんだから進行だけやっていればいい。内容にまで口出しをするな」と言ってきました。その人は、他の政府の人たちの間でも攻撃的だと知られている人で、その後は会議に戻って来なかったと思います。参加しなかったということから、おそらく誰かがその人を脇に連れて行き、「今、大事な時期なんだ、大事な話をしているんだ、国連のゲームをして私たちのやっていることを無駄にしようとするな」と釘を刺したのではないかと思います。実際、私たちはゲームをしているわけではなく、真剣にこれを作るぞという気持ちで取り組んでいたので、その人は来にくくなったのではないかと思います。

■発展的に消えた"ノーマライゼーション"
藤井:ここからは内容面について2、3伺います。権利条約を読むと、日本ではなじみの「ノーマライゼーション」という言葉が一度も出てきません。日本人の多くは、あれほど普及したノーマライゼーションという言葉が入っていないのはどうしてなのかな?と素朴な疑問を持つのですが、この辺の議論はどうなっていたのでしょうか。

マッケイ:そのことについては、(・・・続きは本誌にてお読みいただけます。)

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