17年8月22日更新
VOL.37-5 通巻NO.446
NPO法人日本障害者協議会理事 佐々木 良子
「むかしむかし、あるところに、年老いた村人は、山に捨てなければならないという決まりのある村がありました。人々は、その山を『うばすて山』と呼びました。」この「うばすて山」の物語は、人は年老いても、家族に必要とされ、知恵や経験で役に立てることを教えてくれました。
相模原の障害者施設の事件から1年。植松被告の「意思疎通のとれない人間は安楽死させるべき」と書かれた手紙が公開されました。植松被告は、自分だけは、誰かの手を煩わせることはない。手助けを受ける存在ではないと思っているのでしょうか。
さる7月14日、JDは、「憲法施行70年と障害者」を開催し、障害者の生存権を考える場を持ちました。定員300人のところ約400人が集まり、椅子が足りずに立ち見も出るほどでした。この事件にどれだけ多くの人が関心を持ち、憤っているのかを実感することができました。
盲ろう者でもある東京大学の福島智教授は、自らの体験から、「目もみえず、耳もきこえない状態は、宇宙に一人でいるのと同じ。人に触れられることで、初めて存在を実感できる」と話されました。私が初めて、盲ろう者の触手話(盲ろう者に手話をしている手に触れてもらいながら、内容を伝える方法)をした時、本当に伝わるのだろうか不安になりましたが、発言者の意見に対して、「そうそう。私も…」という意見が述べられ、伝わったことの安堵と驚きを感じました。人によって、コミュニケーションの方法もスピードも伝え方も伝わり方も異なる。これは、人が一人ひとり違うように当たり前のことでもあるのだと思います。
2017年7月26日、JDは、「相模原事件から1年 共に生きる地域社会の実現をめざして」という声明を出しました。そこには、「この事件を引き起こした背景にある優生思想、障害の重い人たちの暮らしの場のあり方、事件の際の匿名報道……いずれも容易に答えが出ることではありません。だからこそ、この事件を風化させることなく、問い続けていかなくてはならないのです。」とあります。
相模原事件でさらに気持ちを暗くさせたのは、植松被告の考え方に賛同する人が多くいたという事実でした。けれどもそれに「NO」と言う人たちがいる。だからこそ、7月14日の集会には、多くの人たちが集まったのだと思います。
人は、人の手を借りて生まれ、やがて人の手を借りて死んでいきます。人は、弱くて、互いに助け合わないと生きていけません。だからこそ、一人ひとりの違いが尊重される世の中になりますように。いよいよJDの役割が大きくなっています。
NPO法人日本障害者協議会副代表 薗部 英夫
フランス革命ののろしがあがった7月14日。「障害者のしあわせと平和を考えるシリーズ」第3回、「日本国憲法施行70年と障害者 障害者に生きる価値はないのか! 真に共に生きる地域社会の実現をめざして」は、参議院議員会館講堂いっぱいの400人の熱気と感動にあふれた。
盲ろうの研究者・福島智さんは言う。見えない、聞こえない障害のある自分は、手をつなげばコミュニケーションはできるが、離せば一人。静かで暗い宇宙空間が口を開いているようだ。では、宇宙のなかで人間が生きている意味はあるのか? 意味があるとすればすべての人間の存在意味がある。障害者の存在価値はあるのか? ないのであれば人間そのものに存在価値はない。「どんな障害を持っていても、生きていてよかったとおもえること。レッテルを貼られない。尺度をあてはめられない。そういう社会をめざしたい」。人間が生きている意味と価値。春兆さんがここにいればどう考えたろうと思った。
*
雲雀沖天(ひばりちゅうてん)不具なるも俯向くこと欲せず
はじめて春兆さんに会ったのは35年前。麻布にあるお宅に「みんなのねがい」誌の俳句コーナーの原稿をいただきにうかがった。けしてきれいではなかった原稿やら新聞紙やら散乱した部屋の中からグチャグチャになった原稿用紙に書いた俳句をニッコーと渡してくれた。春兆さん58歳のときだ。ワープロの弾む一打を書初めに急接近してタッグを組むのはパソコン通信とパソコンボランティアの1990年代だ。JDの情報通信活動の責任者となったわたしは、当時副代表の春兆さんたちと、「愛と手(アイテー)」革命を!と郵政省や厚生省に要望書などを精力的に届けた。電動車いすの春兆さんはいつも先頭で、「その方が迫力あるし、絵になるだろう」と笑ってた。70歳前後だった。「障害者問題研究」誌が「ITと障害者」を特集したときも、しっかり「紹介文」を寄せてくれた。
忘れさすまじとや終戦の夜の銀河
障害者・患者9条の会のよびかけ人(秋元波留夫、楠敏雄、平沢保治、茂木俊彦、吉川勇一ら)の一人でもあった。2013年9月のつどいにも駆けつけてくれた(87歳)。自民党憲法改悪案に対して、自分の考える憲法の大切さを熱く語りあう濃密な時間だった。戦争時の体験を俳句に結晶させた形見となっている作品を「忘れることなく、若い仲間たちに語りついでいかなければ、他界した仲間たちに申し訳ない」と語っていた。
逢いたしや蘂天を指す彼岸花
わたしが撮った曼珠沙華の写真を見たときの一句。「蘂しべ」ってなんだろ?と辞書を引いた。「蘂って、艶やかというか、艶めかしさを感じる文字ですね。ひょっとして逢いたいのは奥さまですか?」と言うと、ニコーっと笑った。忘れられない笑顔だ。
君の瞳を恋うや蜻蛉の眼の中に 春兆
かげろうに踏み入り透明の杖とならむ 裕子
最愛の奥さまとご一緒に。
*
春兆さんは「天邪鬼(あまのじゃく)」と自認していた。出演したNHKの「こころの時代」のタイトルは「天邪鬼よ 出で遊べ」。奈良のお寺で、車いすの視角から、四天王に踏みしめられる天邪鬼を見た。「仲間を感じる。理屈じゃない。共鳴しちゃった」そうだ。共鳴したのは、同じ押さえつけられた仲間、障害者にとどまらない踏みつけられた天邪鬼たちの視線。大事なのはともにあるための同じ地平の視角だ。わたしは、笑顔の“天邪鬼”
=花田春兆の視角を忘れない。
仏にも鬼にもなれず汗の顔
節分の胸に一匹天の邪鬼
生きるべし炎天下を行く車椅子
暖かき腕に守られ生き抜きぬ
まさに天日無冠の人 藤井 克徳
留まらず、心も体も外へ向かう生き方 花田 政孝
花田春兆先生との想い出 佐々木 正子
雲にのぼった春兆さん、に 坂部 明浩
自己表現者たちのパラリンピック 山口 亜希子
「光明教育」の証人 中村 尚子
足跡を継いで行く 荒木 薫
―真に共に生きる地域社会の実現をめざして―
障害者のいのちに向き合い、考えた
第11回 難病者の基本的人権の保障を望む
篠原 三恵子
第2回 障害者権利条約とは 赤松 英知
第17回 障がい者と沖縄戦(上)
視覚障がい児(者)教育の空白と遅れ
山城 紀子
障害・文化・よもやま話
第3回 天邪鬼を偲ぶ ―追悼・花田春兆さん―
荒井 裕樹
第40回総合リハビリテーション研究大会
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