16年9月15日更新
VOL.36-6 通巻NO.435
NPO法人日本障害者協議会代表 藤井 克徳
■事件にどう向き合う
早朝の臨時ニュースにわが耳を疑ったあの日から一カ月半になります。まずは、読者のみなさんといっしょに、あらためて津久井やまゆり園での殺傷事件で命を奪われた19人の同胞に哀悼の意を表し、治療を続けている27人の負傷者の一日も早い回復を祈りたいと思います。
「類をみない事件にどう向き合ったらいいのでしょう」、こんな声が日本中の障害当事者や家族のみなさんから、そして障害分野に携わる関係者から聞こえてきそうです。事件の大部分はなお闇の中ですが、これまでの報道を手掛かりに、私たちとして押さえなければならない事柄を考えたいと思います。
これに先立って述べておきたいのが、事件があまりに残忍で卑劣だということです。抵抗するすべのない多くの重度障害者を標的とし、かつ支援体制の手薄い深夜に襲いかかりました。私たちは、容疑者の身勝手で障害者を冒涜する言動を断じて許すことはできません。
■許してはならない優生思想
押さえるべき一つ目は、容疑者のゆがんだ優生思想に毅然と向き合うことです。容疑者の異常ぶりは、本年2月に衆議院議長あてに出した手紙文にある「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。」などからも明らかです。かつてのナチスドイツ下にあって、この優生思想に基づいて障害者や病者のうち約40万人が断種手術を強要され、第二次世界大戦と同時に始まった「T4作戦」によってさらに20万人以上の働けない障害者が虐殺されました(本誌2015年8月号『視点』、連載フォーカス戦争と障害者 ドイツ編10・11・12月・2016年2月号参照)。二度とくり返してはならない「T4作戦」ですが、このような形で私たちの国で表面化したことに言いようのない驚愕と戦慄を覚えます。
ただし、関連した言動がこれまでの私たちの社会で無かったのかということですが、残念ながら時々頭をもたげていました。たとえば、石原慎太郎氏は都知事時代に、重度障害者施設を視察したあと、「ああいう人ってのは人格あるのかね」と言い放ちました。また、記憶に新しいところでは、昨秋、茨城県の教育委員が公的な場で、「妊娠初期にもっと障害の有無がわかるようにできないのか。茨城県では減らしていける方向になったらいい」と述べています。
容疑者の言動については、捜査機関や司直の手に委ねることになります。一方で大事なのは、今回の事件を含めて優生思想に関連する変動を容認する社会の土壌に厳しく目を向けることです。
■今の日本社会をどうみるか
二つ目は、今の日本社会や障害者政策と事件との関係を深めることです。むろん、単純にこれらを結びつけることはできません。しかし実際に日本で起こった事件であり、舞台となった日本社会の現実に向き合わないわけにはいきません。結論から言えば、前述した優生思想に通じる市場万能主義や競争原理が、事件の遠因や温床になっているのではという懸念です。生産性や効率が最優先される社会にあって、生産力や効率の劣る障害者が社会の隅に追いやられるのは自明です。「強者の論理」が幅を効かせるのと比例するかのように、人権意識が希薄になり、市民社会全体が、しかもさほど問題意識を持たないまま多様性の否定や「弱い者」の排斥を加速させているのではないでしょうか。
それだけではなく、こうした市場原理や競争原理をベースとした政策は、「規制緩和」や「成果主議」、「自己責任」などの形で障害分野にも影を落としています。また、事業所スタッフの低報酬は、社会への見返りの乏しい障害者に対して公費をかけても仕方がないのではとする考え方と無縁とは思えません。
こうした中で、各地の現場からは、「職員を公募しても集まらず慢性的な職員不足が続いている」「正規職員の比率が低下している中で職員のまとまりやコミュニケーションが難しくなってきた」「支援の専門性が目に見えて劣化している」などの悲鳴にも似た声が届いています。障害者政策への警鐘と受け止めるべきであり、今回の事件の検証に際しても念頭に置くべき事象ではないでしょうか。いみじくも、容疑者はあの手紙の中で、「施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」と言っています。
■慎重であってほしい政府の対応
三つ目は、政府の対応のあり方についてです。この点で戒めたいのは、事件のセンセーショナルさに押されて的外れの手を打ってはならないということです。政治的なパフォーマンスとして打たざるを得なかった緊急策が、その後に好影響をもたらさないだけではなく、後々の根幹的な政策改革の足かせになることがしばしばあります。この点で気になるのが、厚労省に設けられた「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」の初会合での厚労大臣の発言です(8月10日)。報道によると、「現行制度の下で何をしておけば事件を防ぎ得たのか」と述べています。現行制度そのものに問題があることは前述の通りで、現行制度を前提としての検証とも受け止められかねないこのような発言には疑問を持たざるを得ません。仮に新たな政策を講じるにしても、問題の多い現行政策への上乗せというのでは、本質的な解決にはつながりません。
具体的には、措置入院制度の見直しがあげられています。その前提に容疑者を「精神疾患」と診立てていますが、これ自体を疑問視する専門家の声が数多く出されています。誤りを前提とした検討からは社会防衛策の強化しか見えてきません。今問われるのは、措置入院制度を特出しするような検討手法ではなく、社会的入院問題に象徴される精神障害者政策の全体的な改革です。事件と「見直し」を関連付ける政策手法についてもくり返してはならないように思います。拙速で本質を欠いた政策は、精神障害関連政策に新たな混乱を持ち込む以外の何物でもありません。
もう一つ、福祉施設の防犯策や管理体制の強化も釈然としません。防犯策そのものは軽視できませんが、それは障害者の地域生活を支援するための本格的な拡充策と合わせて提言されたときに、その意味が生きるのです。防犯策のみの強化は、地域社会との隔絶を強める新たなきっかけになりかねません。
■力を合わせ社会の標準値の修復を
四つ目は、私たちがこれから力を入れるべき課題についてです。当面、全力を尽くすべきは、容疑者の異常な言動とその動機の徹底究明です。これについては、前述の通り捜査機関や司直の手に委ねるしかありません。
私たちが力を注ぐべきは、事件の背後にある、あるいは遠因や温床とも言われる本質的な課題に迫ることです。容易なことではありません。しかし、これに立ち向かうことが、事件の犠牲者と負傷者に報いることになるのではないでしょうか。仮にすぐに展望が開けないとしても追い求めるべきです。二つの観点で述べますが、紙幅の関係もあり概要のみとなります。
一点目は、社会防衛的で集中管理的な政策基調と決別することです。言い換えれば、地域で暮らすための条件を質量ともに飛躍的に拡充することです。「施設から地域へ」、「医療中心から生活中心へ」について、もはやスローガンの段階を終わらせなければなりません。そのためにはこの課題を政治の表舞台に押し上げることで、予算の裏付けを前提に明確なゴールを国民との間で約束すべきです。
二点目は、社会のあり方についてです。多様性を排し、強者の論理が幅を利かせるような社会を改めなければなりません。かつて国連は、1981年の国際障害者年に関連して「一部の構成員を閉め出す社会は弱く脆い」と明言しました。障害者権利条約は、第17条で「その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する」と明記しています。これらに沿って、わずかずつでも社会の標準値を修復することです。
私たち日本障害者協議会は、加盟団体や関係団体と連携しながら、引き続き本事件に向き合い、事件の背景とも関わる諸課題の解決に向けて力を尽くす所存です。
第2回 スポーツは一人ではできない―金メダルが教えてくれた― 河合 純一
第5回 障害者権利条約政府報告の傾向とパラレポの対策 薗部 英夫
第23回 IMO(アイエムオー)楽団 障害のある人たちの思いを伝えていくこと 大畠 宗宏
第8回 平和は偶然ではない かげがえのない命を大切に生きる 正岡 光雄
生活保護基準引き下げが人々の生活を脅かす ~この国の「検討で文化的な生活」とは~ 永瀬 恵美子
第40回 綱川的音楽生活2016(ミュンヘン編) 綱川 泰典
第2回 憲法の大切さをかみしめて 萩崎 千鶴
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