16年6月6日更新
VOL.36-2 通巻NO.431
NPO法人日本障害者協議会理事/日本脳外傷友の会事務局長 東川 悦子
4月14日以後、連日の地震で被害に遭われた熊本を中心とする九州各地の皆様にまずはお見舞いを申し上げます。
ちょうどNHKのハートネットTVで、「続・誰も取り残さない防災」の放送があったのが13日でしたから、いざという時の備えがどうなっているのか、気になっていました。
日本脳外傷友の会の加盟団体である「脳外傷ぷらむ熊本」の会長は山鹿市在住です。震源地の益城町とは、24キロくらい離れているので、直接の被害はないが、会員は県内各地に散らばっているので、その状況把握はできていないということでした。ところが、翌日未明の震度7の本震により被害は拡大し、避難を余儀なくされた方が20万人。死亡者の増大、家屋の倒壊等も1000戸余りと日々被害の拡大状況が報道されています。
南阿蘇町の住民は、もともと世界最大の火口底といわれる阿蘇山中に住んでいるわけですから、地底のマグマの活動によっては、災害がいつ起こってもやむを得ないのだと言ってしまえばそれまでですが、今後も人々は住み続けるわけですから、何とか被害を最小限に食い止める方法はないものでしょうか。
東日本大震災の結果、障害者の死亡率は全住民の2倍であったこと、福祉避難所の設置が急務であること等が言われましたが、これらの教訓が全国各地に活かされるには、まだ時間が足りなかったと思います。
我が身を振り返ってみても、要援護者支援の具体策・福祉避難所の設置等、全くおろそかです。私の住む平塚市は関東大震災の震源地にも近く、築四十数年の我が家は、市の助成も受けて耐震補強はしました。しかし、隣組7世帯中、50歳代はわずか2軒という高齢者世帯ばかりで、100歳で独居の方もおられます。福祉避難所が有るかも不明です。背後に2級河川が流れているので、液状化現象も心配されるところです。
災害時に、高齢者をリヤカーにでも乗せて避難しなければならないだろうと思います。地域包括支援が至上命令となり、住民自治の助け合いが喧伝されて公的支援策がますます削られていくようでは本末転倒だと思います。活断層列島の我が国、災害はいつ起こっても不思議ではないと言われているわけですから、人知が及ぶ範囲の防災は国と地方自治体の急務です。安倍総理、オスプレイや、ステルス戦闘機を買う事よりも先にやってください。
NPO法人日本障害者協議会副代表 薗部 英夫
津田さんは神戸大学附属養護学校の副校長だった。実質総責任者だ。国民学校1年生の夏に終戦をむかえた。2年前に父は病死。長兄は平壌、次兄は学徒動員で台北に、いずれも消息不明。「大戦が終わってから、海外に出かけ"殺し、殺される"戦争に加わらなかったのは、憲法9条があったから」「9条を守り、守られて、古稀迎え…」と綴る。 津田さんが「難病」になったのが2003年。筋肉の炎症から筋肉が溶けていく進行性筋疾患だ。「残りの人生をあなたは何がしたいのか。何がやりたいのか。できないことばかり考えてないで、今の状態でできることを最大限にいかすために何が必要なのか、考えてみようではないか」という主治医のアドバイス。「デンマークにあるのは、一人ひとりが具体的に何がしたいのかというニーズの把握と支援だ」という友人の言葉に勇気がわいた。 現在は有料老人ホームで、いうことをきく右手の3本の指と、左手の親指の4本でパソコンのキーボードを動かし、1年がかりでこの「日記」をまとめた。「戦争をしてはならない」という理念は永久に変えてはならない!と。
「阪神・淡路大震災20年 大震災が教えてくれたこと」には、戦後50年、「この国は、何をめざして、何をしてきたのか」が問われたと指摘している。
1995年1月17日午前5時46分の大震災。翌朝、津田副校長は自宅のある尼崎から学校のある明石へ煙のまだ上がっている神戸の街を歩いて向かった。学校の基本となる「いのちの尊さ、生きることの意味」を考えた。
「騒々しいところではパニックになるんです。避難所では走り回って怒られっぱなし、とてもいられない」と自閉の子をもつ母親。「この子を車に乗せて、夜中走り回ってました」という父親。「外に出られないので家の中で暴れています」という祖母は、一日も早い学校の再開を訴えた。再開にあたっては教職員一人ひとりが、家族のことなど個別の困難を抱え、時間をかけた率直な話し合いがもたれた。
「信号の壊れた四つ辻では車は止まり、のろのろと走っていた。人を思いやる気持ちにあふれていた。給水のとき、代替バスを待つときも長い行列をつくったが、知らない者どうしが、前からのつきあいがあったかのように声をかけあった。困難なときに、人は人を求めあうのだろうか」「"服装、持ちもの、遅刻"など校則という名の"きまり"ごとも、人のいのちと、人のつながりあうことの大切さを前にして、一瞬ではあったが吹っ飛んでしまった」「何事もお伺いをたてなければことのすすまない学校にも文部省(当時)はいきなはからいをみせた。"迅速に、弾力的にことを運べ"と、学校独自の判断にまかされた」。
学習発表会の練習にかかったときの震災であったが、「こんなときだから、やめよう」でなく、「こんなときだからこそ、やろう」と余震の続く中で練習を始めた。雪山合宿も少し日をずらして実施した。「日々の確かな教育実践に支えられた教職員集団の自治の力が、さまざまな困難をのりこえたのだと思っている」と書かれている。そして、「あの震災は、"学校はいつもちゃんとやっているか"と問いかけたのではなかろうか」とも。
2011年春には東日本大震災・原発事故があった。そして、この4月、熊本などで大きな地震があった。試練の歴史のなかで、先達たちの大きな声援が聞こえてくるようだ。
☆ふつうに生きたい くらしたい!!
障害者権利条約・基本合意・骨格提言の実現めざす4.21全国大集会に3000名!
介護保険優先原則の背景―国の政策の理論と矛盾― 荻原 康一
第6回 語ることは生きるちから 豆塚 猛
第2回 教育における「他の者との平等」-特別支援学校にみる権利侵害- 中村 尚子
第14回 隔離と身体拘束(その2) 長谷川 利夫
熊本地震で被災されたみなさまへ
「JDF災害総合支援本部」を設置
小林 修
障害のある人にとって表現することとは 中津川 浩章
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