15年3月23日更新
VOL.34-12 通巻NO.417
NPO法人日本障害者協議会 理事 佐藤 久夫
批准後ほぼ1年経った。学ぶ中でその「重さ」に一層驚く。
1つは、法体系上の位置である。憲法第98条は、第1項で憲法が国の最高法規であるとし、
第2項で締結した条約は「誠実に遵守する」と書いている。締結した条約は一般の法律より上位
の法的効力を持つとされるのはこのためである。
2つ目は「締約国」の意味である。この条約の各条文には、あらゆる権利と基本的自由を障害者
が完全かつ平等に共有することを促進し、確保する「締約国」の決意と義務が書かれている。「締約
国」とはstate・国家であり、country・国でもnation・国民(国家)でもgovernment・政府でもない。国を
統治する公的な機構の総体のことである。政府は締約国を「代表」して報告を作成したり締約国会議
に参加したりするものの、締約国そのものではなく、立法府も司法府も、中央政府も地方自治体も
締約国を構成する。とくに自治体もこの条約を実行する責任主体であり、さらに障害者基本法第36
条により自治体に設けられている合議制の機関に条約実行の監視責任が発生していることに注意
しなければならない。
3つ目は国際的監視システムに組み込まれたことである。障害者基本法にはなかったツールを日本
の障碍者、そして日本社会全体が得た。
4つ目は「障碍者観」にかかわるもので、この条約の最大の重みはここにある。そもそもこの条約の
出発点は1948年の世界人権宣言にあった。当時障碍者は第一義的には弱者・保護の対象と見られ、
権利と自由の享有主体の例示(第2条)にではなく、社会保障に関する第25条で、稼得能力を失った
人々の例として登場した。先進国でも傷痍軍人を除けばなにも社会的支援がない時代で、大規模
入所施設が拡大した。
障碍者に関する国連の取り組みは、この宣言の限界(保護の対象という障碍者観)を克服し、権利
の主体、普通の市民という障碍者観へ転換することが目的であったと言える。知的障害者(当時は
精神薄弱者)権利宣言(1970年)や障害者権利宣言(1975年)などが取り組みの出発点であったが、
これらの採択に際しても、障碍問題はWHO(世界保健機関)が扱うべきだという医学モデルからの
抵抗(ロシア、インドなど)があった。
この条約は「障碍者観」の見直しを問うている、と意識したいと思う。障碍者運動でも、支援活動でも、
政策・計画でも。
藤井 克徳
第2回 国際動向からみた福祉のまちづくり
-アジアの国々のバリアフリー環境整備に関する法律、技術基準の制定状況- 佐藤 克志
青田 由幸
JDFの東北被災障害者支援の経過と現状
原田 潔
田中 直樹
堀込 真理子
芝崎 孝夫
記念樹
花田 春兆
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