15年2月23日更新
VOL.34-11 通巻NO.416
NPO法人日本障害者協議会 常務理事 増田 一世
私の働くやどかりの里(埼玉県さいたま市)は、1970年に活動を開始し45年が経過した。精神病院を
退院する4人のために住まいや働く場を提供することから始まった活動は、現在300人余りの人たちが
登録し、地域生活を送っている。そのうちの1人に堀澄清さんがいる。その堀さんが1月18日自宅で
亡くなった。享年78歳。
JDが関わってきた障害者自立支援法違憲訴訟。埼玉県でも12人の原告が立ち上がり、「障害者自立
支援法訴訟の勝利をめざす埼玉の会」(その後「障害者自立支援法違憲訴訟の基本合意の完全実現
をめざす埼玉の会」)が組織された。「埼玉の会」の共同代表の1人が、やどかりの里の理事を長年
務めてきた堀さんだった。
堀さんは18歳で統合失調症を発症、2度目の入院は窓のない大部屋で3年間も過ごした。その3年間
は、楽しかった過去への追想だけが生きる支えだったという。
堀さんは62歳でやどかりの里にたどり着き、当時あった「茶の間」で志村澄子さん(やどかりの里の創設
者の1人で家族)と出会い、その茶の間で志村さんを相手に気の向くまま、ポツリポツリと自分を語り、ゆっ
くりとした時間を過ごした。その時間の中で堀さんは、人間として生きることを取り戻したのだ。
堀さんは、やどかりの里の会議や学習の場で、精神疾患を発症したことに合わせ人間らしい扱いを受け
なかった精神病院での体験から、「前科者」という烙印を押されたような感覚で生きてきたのだと、私たち
に教えてくれた。
自分の人生を肯定し生きるようになった堀さんは、精神疾患があっても普通に受け入れられる社会の
実現を願い行動した。人生の大半をいろいろな人に世話になって生きてきた自分の人生を振り返り、自分
も社会に役立ちたいと強く思っていた。その1つが「めざす会」の共同代表を引き受けることであった。精神
医療改革も堀さんのライフワークの1つだった。精神疾患を得、人生の大半をその病気や病気をめぐる差別
偏見と闘ってきた堀さんは、読書を好み、深く思索し、社会運動にも積極的に関わってきた。どんな寒い冬の
日にも下駄履きが堀さんのトレードマークだった。堀さんからの学びをこれからの運動のエネルギーに変える
ことが、堀さんからの学びに応えることなのだと噛みしめている。
田中 徹二
八藤後 猛
第1回 わが国の「まちづくり施策」における福祉のまちづくり 秋山 哲男
市原 真理
今西 正義
品川 文雄
松尾 美千代
「あったらいいな」「あったらよかった」こんなサポート
障害児を産んでも、後悔しない人生を生きるために必要な母のためのサポートは?
卆寿迎春
花田 春兆
▼お申し込みは下記JD事務局へメール、電話、FAXなどでご連絡ください。
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1 日本障害者協議会
TEL:03-5287-2346 FAX:03-5287-2347
○メールでのお問合わせはこちらから office@jdnet.gr.jp
○FAXでのお申込み用紙はこちらから 【賛助会員申し込みFAX用紙】
※視覚障害のある方向けのテキストデータ版もございます。
※ご不明な点はJD事務局までお問い合わせください。
フッターメニュー