障害の種別や立場、考えの違いを乗りこえ、障害のある人々の社会における「完全参加と平等」や「ノーマライゼーション」の理念を具体的に実現することを目的として、各種事業を全国的に展開しています。

16年6月6日更新

すべての人の社会「視点」   日本障害者協議会代表 藤井 克徳

2016年度より、「視点」を毎月公開しております。
差別の事実を積極的に関係機関に

  (2016年3月号掲載) 


 障害者差別解消法ならびに改正障害者雇用促進法(差別解消条項)が、この4月から施行される。批准された障害者権利条約(以下、権利条約)がもたらした本格的な成果物の一つと言えよう。法の施行によって国や自治体がどう変わるのか、交通業者や店舗を含む民間の事業者にどんな影響が及ぶのか、何より一人ひとりの障害者の日常の辛く不愉快な思いがどの程度なくなるのか、社会全体が試されるように思う。この法律の成立を後押ししてきた私たちにとっても関心と期待は大きい。

 施行を目前にした今、あらためて成立過程をふり返り、顕在化している課題を考えてみたい。法律の力を正確に知るうえで、また次なる改正を展望するうえでも大切だと思う。次なる改正などというと、気が早いのではと言われそうだが決してそうではない。元々、完成度の低い法律であったことを想起してほしい。本来、下敷きにすべきだったのは、権利条約に加えて障がい者制度改革推進会議がとりまとめた「『障害を理由とする差別の禁止に関する法制』についての差別禁止部会の意見」(2012年9月)だった。残念ながら、中核部分において大きく乖離してしまった。

 法律の制定というのは時の政治の影響を受けやすい。再度の政権交代の直後にあって(2013年初頭)、「差別禁止法は遠のいたのでは」とする空気が広がり始めた。その矢先に与党から立法化の話が浮上した。障害団体側は、「不十分ではあっても頭出しすることの意義は少なくない」で一致し、この動きを後押しすることにした。与党は、障がい者制度改革推進会議の言わばシンボル的な目標であった「障害者差別禁止法」の全面否定は得策ではないと踏んだに違いない。かと言ってもろ手を挙げての推進は本意ではなく、結局「完成度の低い法律」で落ち着いたというのが真相と言えよう。

 なお、完成度の低さについては、当時、議論の渦中にいた与党議員自身が明言している。「本当は禁止法でいくべきだったが、いろいろあって解消法になってしまった。中途半端な法律であり、作り直さなければならない」(昨年暮れの話)と。このことは、国会の側も認識していた。障害者差別解消法の附則に「三年後見直し規定」を明記したことに加えて、衆議院附帯決議は「本法の施行後、特に必要性が生じた場合には、施行後三年を待つことなく、本法の施行状況について検討を行い、できるだけ早期に見直しを検討すること。」としている。

 内容面の不十分さは、既に具体的な形となって表れている。典型的なのは、この法律を機能させていくうえで重要となる「障害者差別解消地域支援協議会」(第17条)の設置である。施行まで3年間の準備期間がありながら、市町村の設置率は1%台に留まっているとのことである。国の対応の遅れは言うまでもないが、その主因は設置が義務規定になっていないことに尽きる。公的な機関が担うとする、相談や紛争防止などの体制の整備についても同様である。「4月以降、苦情や相談は私たちが受けます」といったアナウンスは全く聞こえてこない。ともあれ法律はスタートする。活用しながら改良を図っていくことかと思う。バロメーターになるのは、苦情や相談の件数とみてよい。気がかりなのは、先行している差別禁止条例である。例えば、さいたま市の2014年度の相談件数は9件に過ぎない。辛いことや嫌な思いなどをありのままに、我慢することなく相談機関に持ち込むことを呼びかけたい。

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政府報告書の原案に思う

  (2015年11月号掲載) 


 「立法府に対して、そして政府や司法府に対して改めてお願いしたいのです。それは、『障害者権利条約に恥をかかせないで』ということです。『権利条約に恥をかかせないで』このことを訴えて意見陳述を終わります」、これは障害者権利条約の国会承認に先立って行われた、参院外交防衛委員会での私の意見陳述の最後の部分である(2013年11月28日)。

 残念ながら、権利条約に恥をかかせるような事態が現実のものになろうとしている。来年2月を提出期限とする、権利条約の実施状況の日本としての初の政府報告書をめぐる動きがそれだ。外務省によって取りまとめられた政府報告書の原案が、9月から10月にかけて内閣府障害者政策委員会に示された。分野別に多少のでこぼこはあるものの、全体のトーンは、「うまくいっている」と言わんばかりである。関係者の多くは違和感を覚えたに違いない。

 「うまくいっている」とすれば、この国の障害分野は現状のままでいいことになる。市民一般の暮らしぶりと比べて、欧米の関連政策と比べて、立ち遅れている日本の障害分野にあって、権利条約への期待は熱いものがある。それが現状でいいとなると、「権利条約の値打ちってこんなもの」ということになりかねない。

 むろん、権利条約の価値はそんなものではない。どこかずれている。権利条約にきちんと向き合っていない日本政府の姿勢の方に問題があることは明らかだ。パラレルレポート(国連が正式に受け付ける政府報告書に対する民間からの報告書)でも反論はできるが、できることなら政府報告書とパラレルレポートの落差は小さい方がいい。報告書の作成を通して、官民の障害分野に関する現状評価をできる限り縮めていくことが望ましい。

 あらためて考えたいのは、政府報告書の目的である。はっきりしていることは報告書も手段に過ぎないということである。本当の目的は、この国の障害分野の好転へのエネルギーにつながることだ。作成することを目的化してはならず、体裁などどうでもいいはずである。そう言えば、先に内閣府の招請で来日した国連障害者権利委員会の前委員長のロン・マッカラム氏はこう言っていた。「良質な報告書とは」との問いに、すかさず「正直さ」と。

 この正直さこそが、初の政府報告書の生命線と言えよう。たとえば、長年の懸案である精神障害分野の社会的入院問題や「谷間の障害」などの実体と背景を率直に掲げたらどうだろう。国際的には弱点をさらけ出すことになるが、国内にあっては報告書への信頼が増すに違いない。そこに官民こぞっての改革に向けての新たなエネルギーが生まれてくるような気がする。正直さの程度が、良質の報告書であるかどうかの決め手になるように思う。

 ところで、権利条約では政府報告書のあり方をどう規定しているのだろう。第35条が該当する条項である。要約すると、①批准後にとった措置、②それによってもたらされた進歩(成果)の全体状況、③国連が設定した指針をベースに、④作成にあたり障害者団体の意向を反映、⑤成果が上がらないとすればその困難の度合いや原因の明示、とある。条約全体の文脈からみて、加えておきたいポイントがある。それは、権利条約のなかでくりかえされている「他の者との平等を基礎として」の観点である。障害のある人をめぐる主要分野で、障害のない人とどのような格差が生じているのか、できる範囲でつまびらかにすべきだ。

 時間はまだ残されている。政府報告書の最終とりまとめにあたっては、「正直」にこだわってほしい。合わせて、監視機能を有する内閣府障害者政策委員会の奮起を期待したい。

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T4(ティーフォー)作戦を知っていますか?

  (2015年8月号掲載) 


 ドイツと第二次世界大戦との関係で、以前から気になっていたことがある。一つは、おぞましさを禁じ得ない「T4作戦」にきちんと向き合うことであり、もう一つはユダヤ人障害者の救出に尽力したドイツ人の視覚障害者であるオットー・ヴァイトの情報を掘り下げることであった。本年の5月と7月の二度にわたりドイツ訪問が叶い、むろん十分ではないが、それでも知りたかったことの輪郭はだいぶはっきりとしてきた。ここにその一端を紹介する。時空を超えた今の日本と重ねて考えることの意義は少なくなかろう。

 本稿では、紙幅の都合で「T4作戦」にウエイトを置くことにする。「T4作戦」は、「T4計画」「T4活動」とも訳され、「ティーアガルテン通り4番地」(ベルリンの中心部、当時のナチス本部の傍、現在はベルリンフィルの根拠地)という地名の略語である。なお、「T4作戦」は一種の隠語であり、その本当の意味は、第二次世界大戦の開戦直後に、ナチス政権の下で国家政策として繰り広げられた障害者の「大量抹殺」「安楽死プログラム」である。「作戦」は、ドイツ全土の6か所の精神病院などで行われた。その表向きの期間は1940年1月から翌年の8月で、その間の犠牲者数は7万人余となっている。実際には戦時下の全期間で秘密裏に遂行し、犠牲者の総数は30万人前後というのが定説である。

 「T4作戦」の主な目的は二点であった。第一点目は、徹底した優生学思想に基づく「障害者狩り」である。ターゲットになったのは精神障害者と知的障害者で、遺伝性の視覚障害者や聴覚障害者の一部も対象となった。「T4作戦本部」の鑑定医による「死の選別基準」は、「生きるに値しない命」を抹消することで、「生きるに値しない者」とは①劣等な遺伝子を保有する者、②治る見込みのない者、③働けない者の三点である。まことしやかに「抹殺学」とか「慈悲殺」などが横行した。これと関連しながら、おびただしい数の人体実験や臓器標本づくりも行われている。

 目的の第二点目は、後のユダヤ人大虐殺の予行演習を行うことにあった。効果的な殺戮手順や焼却方法を中心に「大量殺人システム」を「学習」したのである。焼却炉を移設したり、「T4作戦」関係者の大半が1942年から本格化したアウシュビッツを中心とする絶滅収容所の現場責任者と重なる点からも、「予行演習」は裏付けられよう。

 民族浄化政策の下で展開されたユダヤ人大虐殺(犠牲者は600万人以上)は有名であるが、先行した「T4作戦」やそれ以前の40万人ものやはり障害者が犠牲になった強制断種の事実は、日本ではあまり知られていない。日本だけではなく、実は当のドイツでも「T4作戦」の総括は不十分である。ドイツにあっては真摯に向き合うべきであり、障害分野全体としても国際的なテーマとすべきである。

 もう一つ気になっていた「オットー・ヴァイト」の関連資料もだいぶ仕入れることができた。ドイツ人の障害者がユダヤ人の視覚障害者や聴覚障害者を救出しようとした証拠は、小さなオットー・ヴァイト博物館(かつては作業所、ベルリン市内)にぎっしりと詰まっていた。これについては、今般、同行した藤村美織さんの翻訳で発刊となった、絵本「パパ・ヴァイト ナチスに立ち向かった盲目の人」に譲りたい(p13参照)。

 本稿を書いているうちに、つい現在の日本が重なってくる。「忘れられた歴史は繰り返す」の名言がよぎる。今が、戦後ではなく新たな戦前とみる向きは決して少数ではなくなっている。障害当事者や障害分野に携わっている者には、体内時計ならぬ体内警鐘が備わっているやもしれない。警鐘音が一気に高鳴っていると感じるのは私だけではあるまい。

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気が付いた人が責任者

  (2015年4月号掲載) 


 歴史にみる数字の節目というのは不思議な力を持っている。しばし足を止めて、
過去と近未来を眺めさせてくれる。その点で、今年の「戦後70年」は節目の中の
節目であり、特別の「一年間」になるように思う。とは言え、2015年も既に四半期余
が過ぎ去り、相当ネジを巻き直さなければなるまい。「戦後70年」をさらに詳しくみて
いくと、5月8日は欧州での終戦(ナチスからの解放)、6月23日は沖縄での地上戦
終結、8月6日と9日は広島と長崎で原子爆弾の投下、8月15日は日本の終戦、
それ以外にも全国各地の空襲日などがあげられる。そして12月8日の75回目となる
太平洋戦争の開戦日も大きな節目となろう。それぞれについて、無理にでも日常の
忙しさから気持ちを切り替えて、頭(こうべ)を垂れながら戦争の悲惨さと愚かさを
偲び、障害のある同胞たちの辛苦に想いを寄せようではないか。「戦後70年」をとら
える視点は、この他にもいろいろとあるはずで、年間を通してそれぞれの立場と
方法で深慮を求めたい。

 本年1月31日に亡くなったドイツの元大統領ヴァイツゼッカーは数々の明言を残し
たが、その一つにあの「過去に目をつむる者は、現代においても盲目である」がある。
これに類した言い方に「忘れられた歴史はくり返される」もある。また少しひねりを効
かせた「今は戦後なのか、それとも戦前になってしまっているのか」もよく耳にする
ようになった。「うまく言うもんだ」ぐらいでとらえてきたこれらのフレーズであるが、ここ
にきてにわかに信憑性を覚えるのは私だけではなかろう。

 この機会に、戦争に関連して二点ばかり述べておく。一つは、あらためて「戦争と
障害者」に向き合うことである。国連は、「戦争は大量の障害者をつくり出す最大の
悪である」とし、一貫して戦争や紛争と障害者とが深い関係にあることを強調して
いる。そればかりではない。戦争前夜や戦時下の障害者もまた凄まじい状況に置
かれてきた。たとえば、ナチス下では優生思想政策に基づいて精神障害者や知的
障害者、その他の先天性障害者の大量虐殺が行われている(ドイツでは「T4計画」
として知られている)。2011年に「ドイツ精神医学精神療法神経学学会」が「T4計画」
を総括しているが、犠牲となった障害者数は20万人から27万人に上るという。ユダヤ
人の大虐殺に先行したところにその意味の深遠さがある。日本でも、戦時下の障害
者に対して、「食べるだけで役に立たない」という意味の「ごくつぶし」や「非国民」が
多用された。精神病院では戦況が悪化するにつれ食糧の供給が極端に絞られ、餓死
者が相次いだ(現在の都立松沢病院などのデータから)。

 今一つは、今日の社会状況をどうみるかである。前述した通り、漠然としていた危う
さはここにきて輪郭がくっきりしてきたように思う。ドイツの宗教家で高名なマルチン・
ニーメラーの言葉が脳裏をよぎる。〈もしヒトラーが政権を取ってすぐにアウシュビッツ
をやったら我々ドイツ人は彼をたたきつぶしただろう/それを、これくらいなら、これくらい
ならと/昨日に続く今日、今日に続く明日と見逃しているうちに手も足も出なくなった〉
今を重ねても違和感はない。

 かつて糸賀一雄は「気が付いた人が責任者」と言った。知的障害者に対する支援者
の心構えの一つとして説いたものである。それは現在の行動規範としても十分に通用
する。世の中の危うさやひずみを感じやすい障害分野にあって、私たちの感度はそれ
ほど鈍くないはずだ。問題は気付いた後の責任である。気付きと行動の一体化がこれ
までとは比べものにならないくらい重要になっているのではなかろうか。

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被災から4年の障害者の今

  (2015年3月号掲載) 


 東日本大震災の発生から4年の月日が流れた。4年を早いと感じるか、そう
感じないかはそれぞれだが、一つはっきりしていることは被災地をめぐる本質
問題に進展がないことである。本質問題とは、被災地帯で暮らす住民一人
ひとりの生活面での現在と将来への不安に他ならない。とくに深刻なのは岩手
県の沿岸部や原発問題を抱える福島県で、住民の大半がこの本質問題に直面
したままの状態が続いているのである。

 障害のある人たちも心配である。大震災時の障害のある人の死亡率が、住民
全体の約2倍に及んだことは各種のデータが示している。震災発生から今に至
る生活においても、2倍の不利益がつきまとうことは想像に難くない。

 そんな中で、日本障害フォーラム(JDF)は主要被災地帯である岩手、宮城、
福島の各県に支援センターを設置し、継続した支援活動を行い、断片的ながらも
関連情報や実態の収集に努めてきた。そこから垣間見る実態の一端を紹介したい。

 最初に、被災地の障害分野に共通する事象をあげる。第一は、圧倒的に多い声
として被災前の暮らしに遠く及ばないということである。もともと、社会資源の乏しい
一帯であり、それが震災前に及ばないというのだから深刻さはいかばかりか。第二は、
障害分野にあっても、岩手、宮城、福島の各県で復興期における問題や課題の生じ方
がまちまちということである(後述)。わけても、原発問題を抱える福島の惨状は目に余
りあるものがある。第三は、いわゆる震災関連死の問題である。復興庁発表の2014年
9月30日現在のデータによると、その数は3,194人(岩手県446人、宮城県900人、福島
県1,793人、その他55人)に上る。詳細は定かでないが、各種の情報を総合すると、その
大半が高齢期にあり、かつ障害を合わせ持つ人に集中している。

 次に、被災3県のそれぞれの特徴を述べる。岩手については共通して移動手段の確保
の困難が続いている。沿岸部の大半で居住地の高台への大移動が行われたが、このこ
とは障害のある人や高齢者にとって移動の自由の制限に直結する。一部では行政による
支援が実施され、福祉事業所やボランティアによる支援も行われているが、全体的には
予算不足で継続が成らず、また当人の遠慮などもあって「移動の我慢」は常態化している。

 宮城については、岩手同様に津波被害の大きかった沿岸部に困難が集中している。岩手
や福島と比較して復旧や復興は進んでいるとされているが、障害分野については厳しい
状態にある。避難所生活から仮設住宅や復興住宅に移り住むにつれ、障害のある人の姿が
極端に見えなくなっているという。「生きる」の心配は遠のいたのかもしれないが、「暮らし」は
社会から確実に遠ざかっていると言える。

 福島は、住民全体に共通している見通しの立たない状態に加えて、障害分野に限れば
避難状態にある個々の実態が公的に把握できていないことである。ことに、約4万人に及ぶ
県外避難者のうちの障害のある人の実態把握は皆無に近い。もう一つ顕在化しているのが、
福祉事業における職員確保の難しさである。公募しても、若い年代だけではなく年配者を含め
て応募がない。高齢分野以上に障害分野の事業所は深刻で、このままでは事業の存続その
ものが危うい。職員の応募敬遠の背景に原発問題があることは言うまでもない。

 最後に一言付け加えておきたい。それは、東日本大震災を意識的に想い起こすことである。
「忘れない」こそが支援の原点であることを強調しておく。

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トリエステ魂を目の当たりに

  (2014年11月号掲載) 


 スペイン・マドリッドにて10月下旬にWI( ワーカビリティ・インターナショナル、
障害者就労事業体の国際組織)の年次会議が開催された。セルプ協(全国
社会就労センター協議会)やゼンコロの関係者と参加し、世界の関連動向を
知ると共に日本の実態を伝えることができた。新たな交流や情報が得られた
一方で、効率性の重視をベースとする市場原理の嵐が吹きすさぶ中での障害
者の就労支援はどうあるべきか、また就労分野の国際組織のあり方をこれまで
に増して深く考えさせられた。

 マドリッドでの日程を終えた後、途中からの合流者を含めて10人のメンバーで
北イタリアのトリエステ(人口24万人)に足を延ばした。訪れたかったところの
一つであり、到着時の胸の高鳴りは他のメンバーも同じだったと思う。今回の
訪問の主題は明確だった。それは、「はるか昔に精神病院を廃止しているトリ
エステ方式がどこまで日本に通用するか」であり、より具体的には「病棟を転換
して居住施設を設けようとする日本の状況をトリエステのリーダーはどうみている
だろうか」に迫ることだった。滞在はたった2日間だったが、印象は強烈だった。
そして、噂はたがわなかった。ロベルト・メッツィーナトリエステ精神保健局長
(統括責任者で医師)による講義や見学を通して、キラキラとしたキーワードが
矢継ぎ早に心に沁み入ってくる。これらに今次訪問の主題への回答のおおよそが
含まれていたように思う。

 そのうちのいくつかを紹介する。初日の講義の冒頭からずばりと来たのは、
「私たちは疾患や障害をみるのではない。みるべきは疾患のある人、障害のある人
である。人の全体をみようとすれば医療政策と福祉政策、就労政策の一体展開は
当たり前、医師をはじめとする医療スタッフが社会政策全般に関心を持つのも当たり
前」だった。そしてこう続けた。「人を中心とすれば何をするかは自ずと決まってくる。
最もシンプルで、しかし重要なのが、いつでも誰でも受け入れる体制を準備しておく
こと。トリエステ市内には精神障害者を支援するための中核的な事業として4つの
精神保健センターが設けられているが、これらはすべて24時間365日あいている。
むろん費用面での本人負担は無い」と。

 正直なところ、考え方そのものに特段の新鮮味はない。日本との決定的な差異
は、「24時間365日」を成し遂げている実行力である。2日目に24時間あいている
精神保健センターを見せてもらった。センター責任者の熱っぽい語り口、講義を
聴く私たちに話しかけてくる利用者をとがめようとしない雰囲気、それらに強い
信念に裏付けられたトリエステ魂を垣間みる思いがした。

 「古くさい法律であっても、制度がそろっていなくても、実践は成功させることが
できる」「小さな居住事業であっても、運営を誤ればそれらはたちどころに精神
病院化してしまう」「革命は絶えず少数派から始まるもの」(トリエステの関係者は
精神医療改革を「革命」と称している)……、話の内容はどこを切り取っても魅力的
だった。誰に聞いても一貫していたように思う。

 断っておくが、イタリアの財政事情の厳しさは日本の比ではない。トリエステでの
精神障害者を支援する人的な態勢や社会資源の条件(数量や設置場所など)も
決して潤沢ではない。なのになぜここまでできるのだろうか。ぼんやりと頭に浮か
んできた答えは「人間として最も大切なものを握って離さないのがトリエステでは」
だった。

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再開の障害者政策委員会への期待

  (2014年9月号掲載) 


去る9月1日、内閣府所管の障害者政策委員会(以下、政策委員会)が再開さ
れた。再開とは言え、メンバーは大幅に入れ替わり、事実上の新たな政策委員
会のスタートとなった。構成は28人で、馴染みの顔ぶれに加えて著名人も散見
される。まずはエールを送りたい。障害者基本法に根拠を置く政策委員会は、
この国の障害分野の基幹的な審議体であり、批准を迎えた障害者権利条約
(以下、権利条約)の国内監視機能を合わせ持つだけに期待は少なくない。相当
なエネルギーを費やすことになろうが、委員一人ひとりの頑張りを、そして政策
委員会全体としてもまとまりのある力を発揮してほしい。

 新たな政策委員会がまず手掛けるべきは、前期の政策委員会から持ち越しに
なっている障害者差別解消法に基づく基本方針の制定に向けての論議である。
論議を踏まえて政府による決定へと運ぶことになろうが、差別解消法の2016年度
施行を控え、これはこれで急がねばならない。ただし、今期の政策委員会からす
れば、基本方針の論議は言わば序の口のようなもので、課せられた本来の役割は
歴史的な意味を持つのだということを押さえておきたい。

 歴史的な役割とは何か、それは批准年に再編された政策委員会ゆえの使命と
言ってもよい。批准を迎えた権利条約の社会への周知ならびに浸透を図ることで
あり、その価値に威力と勢いをつけることに他ならない。具体的には、次の諸点に
集約されよう。

 一点目は、権利条約の履行状況についての監視機能を実質化させることである。
条約第33条2項にある国内モニタリング機関の設置について、日本においては先の
批准に伴う障害者基本法の改正で政策委員会がこれを担うことになった。障害者
基本計画(現行計画は2013年度~2017年度)を通じての監視となるが、積極性を
忘れなければ有効なチェックが可能となろう。権利条約が理念倒れに傾くかどうか、
政策委員会の責任は重い。

 二点目は、権利条約を障害者の実態やニーズに照らして実際に活用してみること
である。先の障害者基本計画の策定時にも権利条約は意識されたはずだが、批准が
成った今、あらためて権利条約の50箇条(とくに第1条~第33条)を元に、逐条的に
日本の障害分野に総点検を加えることの意義は少なくない。生活実態にしろ、関連
法制にしろ、権利条約の水準との間にはかなりの落差が想定される。その差異こそ
が監視の主要素であり、遠くない時期に迫っている次期の障害者基本計画づくりの
エネルギー源となろう。

 三点目は、障害関連の基礎データの集約と蓄積の具体化である。条約第31条の
「統計及び資料収集」を引用するまでもなく、基本的な統計資料の重要性は言うに
及ばない。権利条約には「他の者との平等を基礎として」のフレーズが繰り返されて
いるが、これは障害のない市民との平等性、格差是正を明示するものである。ところ
が、現状では障害者と障害のない市民とを比較するデータは皆無に等しい。政策
委員会が意欲的に振舞おうにも、このままでは羅針盤を持たない航海も同然である。
早急に、必要な体制と財政の確保が求められるが、政策委員会としても後に引けない
重点課題とすべきである。

 最後になるが、前期までの政策委員会(障がい者制度改革推進会議時代を含む)
で培ってきた運営面での積極的な側面はぜひとも踏襲してほしい。また、私たち日本
障害者協議会をはじめ障害分野の関係者にあっては、新たな政策委員会に対する
関心や注目に加えて協力の姿勢を持ち続けてほしい。



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批准国日本のこれから

  (2014年7月号掲載) 


 障害者権利条約を批准した国で構成される今年の「国連障害者権利条約締約
国会議」が、去る6月10日から12日までニューヨークの国連本部で開催されました。
権利条約が発効して7回目となる締約国会議ですが、1月に批准を終えたばかりの
日本は今回が初参加となりました。締約国会議の役割は、言わば実践交流が主
ですが、今回は次期(2016年から2025年)の国連開発目標への障害分野としての
対処が主題となりました。

 日本政府代表団は、国連代表部が中心となりながら、これに民間から日本障害
フォーラムの立場で筆者(肩書は日本政府代表団顧問)が、また内閣府障害者
政策委員会前委員長として石川准さんが加わりました。なお、日本のNGOからの
参加は、JDFの嵐谷安雄代表を筆頭に通訳を含めて総勢18人でした。

 感想をいくつか述べます。その第一は、締約国会議に対する関心と期待の高さ
でした。それは、初日の参加者(各国政府メンバーと傍聴者)が1000人を超えた
ことからも明らかです。第8回特別委員会にて権利条約の仮採択が成った時で
約500人と言われていますので(2006年8月25日)、今回の盛況ぶりがうかがえる
と思います。第二は、日本の正式出席を歓迎する雰囲気が広がっていたことです。
その背景に、「形式的な批准を避けた日本は、国内法制の改正を図りながら批准
への条件を整えていった」、こうした条約への対応ぶりが各国のキーパーソンに
予め伝わっていたことがあげられます。第三は、日本の存在感が少なくなかった
ことです。日本政府代表団の責任者である吉川元偉(もとひで)国連代表部大使に
よる ステートメントの内容もさることながら、とくに政府と民間が連携して対処して
いる姿に好感が集まったように思います。具体的には、公式プログラムでの筆者ら
民間による発言であり、加えて災害問題を含む重要な二つのサイドイベントが
いずれも日本政府とJDFが組んでの開催となったことも大きかったのではないで
しょうか。ちなみに、2つの会場とも定員を上回るほどでした。

 批准から発効、そして批准国会議への仲間入りと、障害者権利条約に関して新たな
ステージに移行した日本ですが、私たちの最大の関心事はこれによって国内の障害
分野がどう改まるのかということです。法的な効力を有する権利条約ですが、他の
批准されている条約を合わせみると、自動的に事態の好転が舞い込んで来るもの
ではなさそうです。

 ここで大切になるのが、条約に明記されている履行促進のための仕掛けを最大限
に活用することです。これによってようやく事態の好転への歯車が動き出すのです。
ただし、その成否は活用を求める私たちの主体的な対応にかかっていると言っていいと思います。

 条約にある主な仕掛けとしては、①国内の監視機関を実質的に機能させること
(条約第33条、日本では障害者基本法に基づく障害者政策委員会がその機能を果たす
ことになっている)、②履行状況報告書の国連への提出(条約第35条、日本政府による
2年以内の正確な報告書作成が問われる)、③定期的な締約国会議への出席(条約
第40条、引き続き政府代表団にJDF等の代表を加えることや積極姿勢が求められる)、
の3点があげられます。加えて、国際監視機関として既に機能している「障害者権利
委員会」(条約第34条)について、これをチェックしていくことも重要な課題になります。

 批准して既に半年になります。年内をかけて、批准の前と後の境目となる2014年を、
後世からみて「なるほど転機になった」と言われるような年にしたいものです。



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批准は新たな運動の号砲

  (2014年2月号掲載) 



 「2014年1月20日」、この日は日本の障害分野にあって永く記憶されることになろう。
この日をもって障害者権利条約(権利条約)が批准され、障害分野に関する国際法規
の受け入れを宣言したのである。今を生きる私たちは、歴史的な節目に居合わせた
ことになる。

 あらためて昨今の関連動向をおさらいしておく。昨年10月15日の閣議で了承された
「障害者の権利に関する条約の締結について承認を求めるの件」は、11月19日の衆院
本会議に続いて、12月4日の参院本会議でも全会一致で可決、成立をみた。これを受
けて、年明けの1月17日の閣議で批准書を了承、批准書は1月20日に吉川国連大使を
通じて国連事務総長に寄託された。寄託した日イコール批准日となり、効力を発するのは
寄託日から30日目の2月19日となる。

 批准という新局面に至って、権利条約に則っての義務や課題の確実な実施や行使が
求められる。定期的で重要になるのが、締約国会議(第40条)への政府代表の出席で
あり、条約履行の報告義務(第35条)である。いずれも形だけの対応は許されまい。国の
内外から注目されるのは、障害当事者団体(代表)の参加の実質度となろう。また、正規の
国連機関となる障害者権利委員会(第34条、定員18人)への委員派遣も大切になる。委員
の選出は選挙となり、日本として政府とJDFなどの民間団体が連携して備えに入るべきである。

 権利条約の前文25項目と本則50カ条は、どこをとっても頼もしい。これらが誠実に履行さ
れれば、新たな時代の到来は請け合いである。しこりのように凝り固まっている問題点は
溶解し、国際的にみて恥部や暗部とされている異常現象にも春風が吹き込まれるに違いない。
「権利条約元年」の今、私たちは自身で主張できにくい人や法制度の谷間に放置されている
人をできる限り巻き込みながら、思い切って夢や希望を膨らませたい。

 そんな揚々とした気運のさなかに、気になる動きを取り上げなければならない。急浮上の
精神科病院での「病棟転換問題」はその典型である。「病院から地域へ」が進展しない中で、
しからば病院に「地域」を持ち込もうと言うのだ。具体的には、病棟や病室など精神科病院の
一定のエリアを福祉系事業に切り替えると言う代物。奇策、愚策と言うしかない。権利条約
第19条の「どこで誰と生活するかを選択する機会を有すること並びに特定の生活施設で生活
する義務を負わないこと。」との関係をどう説明するのだろう。障害に関連した審議会について
も気がかりだ。権利条約第4条には、「政策決定過程への障害者を代表する団体の積極的な
関与」(第3項)とある。批准されて最初の検討委員会は「障害者差別解消支援地域協議会の
在り方検討会」になりそうだ。残念ながら構成メンバーに障害団体の代表は見当たらない。
難病政策も解せない。政策対象を相変わらず病名や原因で区分けしようとしている。社会モデル
的な障害観の権利条約とはかけ離れることになる。

 こうした事象を黙過してはならない。そうでないと、「権利条約の力は所詮こんなものか」と
みくびられてしまう。憲法にある「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを
誠実に遵守することを必要とする。」(第98条2項)も色あせることになる。みくびらせないため
には、権利条約の水準に実態を合わせることだ。権利条約は、あるべき方向を指し示している。
ただし、その実現は運動によって担保されることを忘れてはならない。そう考えると、今般の
批准は新時代づくりの新たな運動の号砲とも言えよう。権利条約と運動とは相即不離の関係に
あるのだということを押さえておきたい。さらに加えるならば、障害者権利条約の価値が増幅
すれば、他の人権条約への刺激が期待できる。人権や国際規範を軽んじる風潮にあるこの国に
一石を投じるやもしれない。批准された権利条約にはそんな力も秘められているのかも。



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権利条約に恥をかかせないで

  (2013年12月号掲載) 



 障害者権利条約を眺めていると、重厚な楽譜が重なってくる。楽譜というのは卓抜した
世界の共通言語であり、そこに踊る音符や休符、記号に解釈の余地はないはずだ。とこ
ろが、同じ楽譜でもいざ演奏の段となるとそうはいかない。オーケストラで言えば、指揮者
の考え方や奏者の技量、楽器の質やホールの音響の良しあし、時に聴き手のマナーなど
にも影響されながら聴こえ方に差異が生じよう。同じベートヴェンの「運命」でも、カラヤン
と小澤征爾の指揮とで曲想が異なるのは有名な話である。

 権利条約に話を戻すと、その価値や意味は楽譜と同様に世界共通なのである。問題は
それぞれの国の奏で方ということになる。わが日本はいかに。さわやかで胸のすくような音を
創ることができるのか、それとも……。これまで批准に必要な要件確保に全力をあげてきた
私たちであるが、これからはいよいよ奏で方を問うことになる。むろん広い意味では私たち
NGOも"障害のある人のための日本楽団" の一員となろうが、あくまでも指揮棒を振るのは
政府である。譜面に忠実であるべきは言うまでもなく、近い将来には世界トップクラスの演奏を
実現したいものだ。

 さて、批准という歴史的な節目にあたり、書き留めておきたいエピソードがある。日本と権利
条約の関係を押さえる意味からも大切だと思う。紙幅の都合で二点のみとする。

 一点目は、国連総会で権利条約の提唱が成された直後の日本政府の対応ぶりだ(2001年
10月30日)。内閣府の担当部署の反応は実に冷やかだった。「メキシコ政府のスタンドプレーで
あり、取り合うことはない」旨が告げられた。障害分野に造詣の深い国会議員のとらえ方もこれ
と瓜二つだった。このような消極姿勢が、その後の同年12月中旬の「権利条約を審議するため
の特別委員会設置の共同提案国」を逃すことにつながるのである。ちなみに共同提案国は28カ
国。端緒段階での歴史的なつまずきと言ってよかろう。

 二点目は、すっかり有名になっているが、いわゆる「3・5事件」である。2009年3月6日の定例
閣議に「権利条約の締結の承認を求める案件」がかけられるとの報が入ったのはその3日前
だった。JDFをあげてこれを拒んだ。その理由は明快で、恐れていた形だけの批准を避けたか
ったのである。3月5日の時点での与党の政治判断によって、ぎりぎりで翌日の閣議案件から
外されることになった。もし、あのまま閣議を経て国会承認となっていれば、条約と乖離のあった
国内法制の整備、すなわち障害者基本法の改正や差別解消法がどうなっていたかはわからない。

 批准し締約国の仲間入りということになるが、50カ条に及ぶ条約が持つ意味はきわめて重くなる。
憲法には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する」(第98条
第2項)とあり、具体的には一般法律の上位に君臨することになる。問題は、権利条約第33条にある
条約履行後の「実施の促進、保護、監視」の実質化をどう図るかである。障害者政策委員会の機能
強化と合わせて、内閣における担当部署の飛躍的な拡充が鍵となろう。

 権利条約に恥をかかせることがあってはならない。そのためには、最低限二つの要件が問われる
ことになる。一つは、「Nothing About Us Without Us( 私たち抜きに私たちのことを決めないで)」に
磨きをかけ続けることである。今一つは、条約の中に36回も登場する「他の者との平等」を基礎として
(市民一般との平等性)をこの国のあらゆる政策部面で浸透させていくことである。



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条約の批准にどう向き合うか

  (2013年7月号掲載) 



 先に閉会した第183通常国会は、日本の障害分野にとって一つの節目になったように
思う。懸案とされていたいくつかの重量級の政策課題に道がひらかれたのである。

公職選挙法の改正で成年被後見人の選挙権が回復されるようになったこと、障害者雇
用促進法の改正で精神障害者の雇用政策について他障害者との同水準化が方向付け
られたこと(完全な実施までには10年近くを要するが)、いずれも悲願の成就と言えよう。
ほかにも、精神障害分野で本人と家族にとって百年来の重荷とされていた「保護者規定」
(明治時代から終戦後までは監護義務者と呼称)が法文から姿を消したことを評価する声
もある(入院時の家族同意規定の新設があり、改正法の評価は分かれているが)。さらに、
何といっても大きいのは障害者差別解消法が成立をみたことである。通常国会の初期段
階では、「法案提出までがいいところでは」といった空気が支配的だっただけに、うれしい
誤算となった。

 しかし、残念なことがある。節目とされるこの時期に障害者政策委員会が一度も開催され
ていないことである。開催されていたとしたら、国会審議への牽制作用が効いて、いずれの
法案も2割から3割のレベルアップが図られたのではとする見方もある。とくに歴史的な法律
となった障害者差別解消法については、障害者政策委員会 差別禁止部会から出された意見
書とのギャップがもっと埋められたのではと悔やまれる。

 さて、一つの節目を越えた今、日本の障害分野に新たな光景が広がってきた。権利条約の
批准というテーマがくっきりとした輪郭をもって迫っているのである。むろん、条約の個別の条
項と日本の現実とを比べればまだまだ不十分さは否めない。国内法制の水準を高めて行くうえ
で千載一遇の好機であり、批准という切り札を簡単には切るべきではないとする考え方も根強く
ある。ただし、物事には頃合いというのがあることも押さえておかなければならない。

 実は、政府は2009年3月上旬の時点で条約の締結(批准)方針を固めたことがある。合わせて、
権利条約公定訳案の国会への提出準備は万端だった。これに対して、JDF(日本障害フォーラム)
は「国内法制の改革なしでの形だけの批准は受け入れられない」で一致して、政府に対峙した。
与党も動いてくれた。間一髪で閣議の案件から下ろすことができたのである。もし、批准が成って
いたとしたら、推進会議の存在そのものが危うかったかもしれない。

 あらためて問われるのが、この時期に条約批准の可否にどう向き合うのかということである。
その前に確認しておきたいことがある。それは、条約の批准は終結点ではなく、あくまでも通過
点にすぎないということである。批准が成った条約は国内法として、しかも一般法の上位に据わ
ることになり、今度は法的な根拠を有する条約の元で国内法制の改革に向けて立法府や行政
府を揺さぶることが可能となる。とすれば、不十分ながらも障害者基本法が改正され、障害者
差別解消法が成った今、批准のハードルはどうにかクリアしたとみて、批准を有効に活かす段
階へと駒を進めるべきではなかろうか。

 たしかに、「頃合い」の決め手は難しい。しかし、条約や国内法制といくら睨めっこしたところで
すっきりとした答は得られないように思う。批准という新たなステージを想像しながら、どこに向
けて何を成すべきか、新たな運動づくりの意志を固める中に「決め手」がみえてくるのではなかろうか。



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小さく産んだらずっとそのまま

  (2013年4月号掲載) 



 「小さく産んで大きく育てる」と障害関連政策との関係については、以前にも本誌で触
れたことがある。出産や育児に際してはもっともなフレーズかもしれないが、こと障害関
連政策にはあてはまらないのでは、こんな趣旨のことを記したように記憶している。残念
ながら、「小さく産んだ政策は小さいまま」は変わっていないように思う。言い換えれば、
効力を備えた政策としていくためには、時間を要してでもとにかく大きく産むことだ。

 もちろん、当事者団体側もこのことは百も承知である。団体の要望を取りまとめて、まず
は「まともな球」(掛け値なしの要求水準で)を投げ込む。他方、政策の番人である政治や
行政からは決まって「低い球」が返ってくる。「まともな球」と「低い球」の間でやりとりが始ま
るが、ここからのプレッシャーは強烈だ。「不十分かもしれないが、今、頭出しをしておかな
いと次はいつになるか判らない」「ステップバイステップというのが現実的では」と説得される。
これらがくり返されているうちに大体は同調ということになる。

 こんなことを考えながら、現在開かれている国会をみるとどうだろう。障害に関連して重
要な法案がいくつか準備されているが、気掛かりな点が少なくない。

 その一つは、精神障害分野への対応だ。一貫して「他の障害との横並び」を戦略目標と
してきた精神障害分野であり、現実にも、2006年の障害者自立支援法の制定に際しては
「三障害の統合」が成り、この三年間余にわたってくり広げられてきた障がい者制度改革
推進会議にあってもそれなりの流れになっていた。ところが、今国会で上程が見込まれて
いる精神障害者に直接関係する二つの法案の改正(雇用促進法、精神保健福祉法)で
言えば、ガクン、と急ブレーキがかかったような印象を受ける。

 雇用促進法改正の注目点の一つは、精神障害者の雇用の義務化が成るかどうかである。
労政審の結論である法律案要綱によると、義務化の実現は間違いなさそうだ。ただし、実施
は5年後と言う(2018年度より)。5年の猶予も理解できないが、問題はこれに留まらない。精
神障害者の雇用の義務化に伴う法定雇用率の改訂までには、さらに5年かかると言う。実質
的な義務化までこれから10年というのは、あまりに長過ぎはしないか。

 精神保健福祉法の改正論議についても釈然としない。最大の論点とされた「保護者規定」の
撤廃についてであるが、法文上の「保護者規定」は削除されるものの、これに代って医療保護
入院時の「家族同意」が設けられそうだ。そもそも「保護者規定」の問題は、他障害の家族と比
べて、精神科以外の患者家族と比べて、精神障害者の家族の過重な負担を軽減しようという
のが事の本質だったはずだ。今回もまたぞろ本質を正視することなく、「入院時の責任問題」と
いう狭い意味での家族負担問題に終始してしまったように思う。

 気掛かりな点のもう一つは、障害者差別禁止法の制定についてである。一時はどうなるかと
心配したが、政府立法として今国会への法案提出が本決まりとなった。問題は法案の水準で
ある。ポイントの一つにあげられるのが、「合理的配慮の不提供は差別である」を含む差別の
定義の明確化であろう。権利条約及び差別禁止部会(推進会議の下に設置)の意見書を最大
限生かしてほしい。

 法律が誕生し、改正されるまでにはいくつかのハードルがある。閣法(政府立法)で言えば閣
議決定までがヤマになるが、国会に上がってから修正が加えられる場合も少なくない。国会で
の審議を通してたっぷりと栄養を供給し、いずれの障害関連法案についても大きく産んでほしい。



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新たな十年とインチョン戦略

  (2013年2月号掲載) 



 「インチョン戦略」の邦訳が出来上がった。25頁というボリュームと合わせて、なかなか
の質感である。あらためてインチョン戦略の背景や特徴、捉え方についてコメントしたい。

 「インチョン戦略とは」を意訳的に紹介すると「障害分野に関するアジア太平洋域内に
おける2013年から2022年までの10年間の政策目標とそれを具体化するための指針で、
国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)によって策定されたもの」となろう。「イン
チョン」についてであるが、これはインチョン戦略を最終的に取りまとめた閣僚級会議が
昨秋の10月下旬から11月上旬にかけて韓国・インチョン市で開催されたことにちなんで
付されたものである。

 このインチョン戦略だが、忽然と現れたのではない。直接のきっかけは、2012年で終了
する第二次「アジア太平洋障害者の十年」(2003年~2012年)の後をどうするのかの問い
かけだった。結論としては第三次目を継続し、新「アジア太平洋障害者の十年」(2013年~
2022年)を設定することになった。となると、新たな10年間の共通の拠りどころに何を据え
るか、これの明確化が求められたのである。この点でのアジア太平洋域内の関係者の狙
い目にズレはなかった。甚だしく立ち遅れている障害分野を確実に挽回していくための
説得力のある行動指針がほしい、スローガン中心の二次にわたる10年間を凌駕するような
具体的な取り組みでなければならない、これらで一致をみたのである。こうした経緯を受け
て2010年より本格的な協議が重ねられ、インチョン戦略の結実へとつながっていった。

 もう一つ押さえておかなければならないことがある。それは障害者権利条約との関係だ。
インチョン戦略の内容は、明らかに権利条約をベースにしている。と言うよりは、権利条約
のアジア太平洋版と言ってよかろう。加えて、インチョン戦略を通じて、アジア太平洋域内
の隅々に権利条約を届けたいとするメッセージが込められているのである。

 内容面での最大の特徴は、10のゴール(障害者に関わる基本分野を10領域に大別)、27
のターゲット、62の指標で構成していることだ。ゴールだけでは抽象的で、これをターゲット
という形で目標を細分化し、さらに数値目標を含めた指標で裏打ちしている。ただし、ESCAP
構成国の大半は途上国で、この種の政府間交渉でありがちな、低水準化指向の圧力は例外
ではなかった。15のCSO(障害分野のNGOで「市民社会団体」と訳される)が懸命に食い下
がり、オーストラリアなどいくつかの国が積極姿勢を示したものの多勢に無勢。それでも障害
分野に関連したESCAPの過去の政策文書と比べれば群を抜いた水準と言えよう。なお、形式
上は本年5月末とされているESCAP総会の議決をくぐって正式な決定となる。

 最後に、私たちのインチョン戦略への向き合い方について触れておく。確かに、目標や指標
の水準だけを見れば物足りないかもしれない。しかし、流れている理念や方向性はそっくり今
の日本に通用するように思う。それよりも何よりも、アジア域内の障害分野に共通の言語と物
差しが生まれたことが大きい。インチョン戦略を元に、アジアの一員として、アジアの同胞に心
を通わせることは、将来に向けてかけがえのないものが待っていてくれるような気がする。それ
は、欧米との交流では得られないものかもしれない。ともあれ、インチョン戦略の一読を勧めたい。



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視点 すべての審議会に障害当事者の参画を

  (2012年12月号掲載) 



 「わが意を得たり」という言い方があるが、障害者権利条約がまさにそれである。あらた
めて個々の条文をじっくりとみていくと、随所で思わず膝がしらをポンと打ちたくなるような
心境にかられる。内容の素晴らしさを探っていくと、そこにはいくつもの背景や要因が重な
ってくる。国連に設けられた特別委員会でのドン・マッケイ議長の見事な采配ぶりは言うに
及ばず、議論をリードしたEUの存在も大きかった。加えて、押さえておかなければならな
いのが、あの"Nothing About Us Without Us"(私たち抜きに、私たちのことを決めないで)
のフレーズがくり返されたことである。政府間の交渉事でありながら、障害関連のNGOの
立場や発言が尊重されたのである。権利条約から"Nothing About Us Without Us" を差し
引いたらどうなっていただろう。魂の入らぬ仏の如くで、おそらくは権利条約の値打ちはこ
れほどまでに上がらなかったに違いない。

 当事者参加の視点は日本にも大きな影響を及ぼした。38回を数えて幕を閉じた障がい
者制度改革推進会議がそれであった。隔世の感を覚えた関係者も少なくなかろう。障害
当事者の構成員が過半数を占めたことに加え、審議の実質性や議論の公開などでも、
この国の審議システムのあり方に新たな地平を開いたと言えよう。推進会議の実践を束
の間の心地よさに終わらせてはならない。バトンを託された障害者政策委員会の責任は
少なくない。

 この機会に、「障害者と審議会」について言及してみたい。結論から言えば惨憺たる状
況である。実は、推進会議は例外的な存在であることがわかる。このことは、10月1日に
開催された障害者政策委員会・第3小委員会の席上で内閣府より明らかにされた。それ
によると、2012年8月末現在で22省庁にまたがって118の審議会・委員会が機能している
というが(すべてを網羅しているかはわからないという。またいわゆる親審議会のみで、
社会保障審議会の部会や労働政策審議会の分科会などは含まれていない)、委員の実
数は合計で1,790人となっている。このうち障害者は14人、家族は3人、委員全体に占め
る割合は合わせても0.9%である。障害者の委員がいるのは、障害者政策委員会(委員
30人中障害者13人、家族3人)と交通政策審議会(委員27人中障害者1人)のみである。
政策課題によって障害分野との関係は濃淡があろうが、無関係とか無縁などということは
ないはずである。それにしても、障害当事者の参加は情けないほど貧寒である。

 この点で、同じ課題を抱えていたのが女性の分野であった。こちらの方は動きがある。
2010年12月17日に閣議決定がなされた「第3次男女共同参画基本計画」において、15の
分野にわたって総合的な参加・参画政策が明示された。その中のトップ(第1分野)に
「政策・方針決定過程への女性の参画の拡大」が掲げられ、第2次計画の目標値である
「2020年までに審議会での女性の割合を30%にする」が踏襲されている。障害者政策委
員会の委員であり、JDの政策委員である後藤芳一さんは、女性の参加・参画の閣議決定
に関連して「数値は変えるにしても、考え方はそのまま障害分野にも通用する」と指摘している。

 新たな障害者基本計画をめぐる論議が大詰めを迎えている。いくつもの重要なテーマが
あるが、わけても政策決定過程への障害当事者参画を最重点化すべきである。障害当事
者参加については、こう提案したい。まずはすべての審議会に原則として一人以上を、障
害者政策委員会のように専ら障害関連政策を論じ合う審議体については過半数とすべき
である。その向こうに、脆くはない社会の到来が待っていてくれるのでは。



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視点 国連障害特別報告官の訪日に思う

  (2012年11月号掲載) 



 国連の障害特別報告官を務めているシュアイブ・チャルクレンさんが11月上旬に1週間ほど
日本に滞在した。当初の話では、国連ESCAPなどがインチョン市(韓国)で開催する「第二次
アジア太平洋障害者の十年」最終年関連企画に参加したついでに日本に立ち寄るぐらいに
聞いていた。本人に確かめるとそうではなかった。「訪日の目的は明快で、二つの独自の課題
を持って来た。一つは権利条約の批准を促すこと、今一つは被災地帯を訪問すること」、これが
チャルクレンさんの答だった。

 最初に二つ目の目的であるが、車椅子に乗りながら精力的に動いた。二日間にわたって宮城
県に入り、被災地帯の見学に加えて多くのキーパーソンに会っている。たまたま重なった、津波で
流出した作業所の再建にあたっての地鎮祭(女川町)にも出席してくれた。仙台市で行われた「震
災と障害者」を主題とした特別企画でも的を射たスピーチが成されたという。国連で本格化する
「震災と障害者」「開発と障害者」の論議にあたり、今般の被災地訪問が少しでも役に立ってほしい。

 もう一つの目的である「権利条約の批准促進」であるが、こちらの方は日本側として新たな刺激
を受けたが、同時にチャルクレンさんも認識を新たにしたように思う。国会並びに政府要人への表
敬訪問や権利条約議員連盟総会への出席、JDF関係者との懇談などを通じて、日本側から異口
同音にくり返されたのが「批准の前に主要な国内法制の整備を図っておきたい。差別禁止法の出
来映えによって批准への展望が見えてくるのでは」だった。批准促進を本務とするチャルクレンさん
であり、日本以外のほとんどの国が、先ずは批准を先行させ、批准された条約に沿って国内法制を
変えていくというのが常套手段で、やや戸惑った感じだった。しかしながら、すぐに理解を示してくれた。
「日本の対応は誤っていない。関連法制の変革を先行させるのも重要な戦術の一つ」と語ってくれた。

 実は、この点では経緯があり、この機会に簡単にふり返っておきたい。時は2009年3月5日のこと
だった。翌日の定例閣議で「条約批准の衆院上程を閣議決定する」という情報が入って来たので
ある。JDF(日本障害フォーラム)はこぞって反対した。主要な関連法制の改正・創設を伴った実質
的な批准でなければ意味がない、これが理由だった。結果的には、前夜の時点で翌日の閣議の
議題から条約批准の案件が取り下げられたのである。前日での取り下げは稀らしい。その後は
周知の通り、政権交代があり、障がい者制度改革推進会議が設置され、推進会議の第一次意見で
大きな3つの法律の改正・創設が示された(基本法の抜本改正、総合福祉法の制定、差別禁止法の
制定)。総合福祉法が総合支援法に変質したり、差別禁止法が楽観できる状況にないなど、全体と
しては苦戦が続いているが、それでもあの時点で批准を終えているよりもはるかに有意義な経緯を
たどっているように思う。

 チャルクレンさんと語り合いながら、批准の要件を再考してみた。頭に浮かんできたのは、①効力
を備えた差別禁止法の制定、②条約第33条の監視メカニズムの実質化、③総合支援法で言う9項
目の検討課題の一定水準の確保などで、これらは最低の要件となろう。

 チャルクレンさんはこうも言っていた。「世界のどこかで成していることは、日本でできないはずが
ない」と。そう言えば、成人期障害者の家族依存からの脱却、社会的入院問題の解消、賃金補填
を含む社会支援雇用政策……、欧州では当たり前になっているこれらも、批准時には展望をみたい
ものだ。



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視点 推進会議から障害者政策委員会へ

  (2012年9月号掲載) 



  去る7月23日、首相官邸で第1回目の障害者政策委員会が開催された。障がい者制度
改革推進会議(推進会議)との比較を中心に、その特徴を概観する。第一は、二つの審議体
の後継ということである。推進会議と以前の中央障害者施策推進協議会、これら二つの合流
というニュアンスでとらえてもらってよかろう。第二は、障害者基本法に明記された法定の審
議体となったことである。閣議決定に留まった推進会議と比較して、新たな権限が備わるなど
格上げということになる。第三は、省庁との関係が深くなることである。新設の障害者政策委
員会には、30人の本委員や専門委員に加えて、幹事という呼称で各省庁の障害分野担当者
(課長クラス)が配属される。これら幹事は、お目付け役になるのか、それとも資料の提供など
を含めて助っ人になるのか、どちらに軸足が置かれるかは現時点では何とも言えない。第四は、
引き続き「5年間の改革の集中期間」(2009年末~2014年度)に位置づけられていることである。
法定の審議体に生まれ変わったのと同時に、「5カ年の集中」という時間的な要素がもう一枚重
なっていることを押さえておく必要がある。

 法定の審議体への格上げ自体は好感できるが、一方で法定ゆえの制約も少なくない。開催
回数や開催時間などの面で推進会議ほどの柔軟性はなさそうだ。 次に、障害者政策委員会
の役割や権限について確認しておきたい。障害者基本法には「内閣総理大臣は、関係行政機
関の長に協議するとともに、障害者政策委員会の意見を聴いて、障害者基本計画の案を作成し、
閣議の決定を求めなければならない。」(第11条)「(障害者基本計画に関して)調査審議し、必
要があると認めるときは、内閣総理大臣又は関係各大臣に対し、意見を述べること。」(第32条)
とあり、障害者政策委員会が先ず成すべきは障害者基本計画(基本計画)に関する意見具申を
行うことだ。もう一つは、これが中央障害者施策推進協議会とは大きく異なる点だが、「障害者
基本計画の実施状況を監視し、必要があると認めるときは、内閣総理大臣又は内閣総理大臣
を通じて関係各大臣に勧告すること。」「内閣総理大臣又は関係各大臣は、勧告に基づき講じた
施策について政策委員会に報告しなければならない。」(いずれも第32条)など、いわゆる監視、
勧告、応答義務の機能と権限が明記されたことである。

 ここで一つの疑問にぶつかる。障害者政策委員会は、基本計画しか関与できないのかという
ことである。法律上はそうなっている。ただし、基本計画には幅があり、障害分野のあらゆる側
面がその対象となるのである。逆に言えば、重要な要素をいかに漏れなく盛り込むか、そうすれ
ば審議や監視、勧告の対象になるのである。

 最後に、期待に応えられる障害者政策委員会としていくための最低の視点を述べたい。言い
古されたことかもしれないが、徹底して権利条約を礎とすることだ。個々の条項を尊重することは
言うまでもないが、それ以外の二つの視点を強調しておく。一つは、条約に34カ所も登場する「他
の者との平等を基礎に」を念頭から離さないことだ。わが国の障害をもたない市民の平均的な
暮らしぶり、これを正視しながらの論議を求めたい。今一つは、Nothing About Us Without Us
(私たち抜きに私たちのことを決めないで)に磨きをかけることである。障害当事者が多数加
わっている障害者政策委員会であり、その主体性がどこまで担保されるのか、少なくとも推進
会議の実績は上回ってほしい。



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視点 折り返し点にあたって

  (2012年7月号掲載) 



 今年も早や折り返し点を過ぎた。障害分野の観点から前半期をふり返り、後半期を展望し
てみたい。その際に念頭に置くべきは社会全体の動きとの関係である。とくに政治の影響は
少なくなく、障害分野もまた否が応でも「果たせない約束」とか「変えられない政治」といった
今日の混迷と停滞の政治にさらされながらの展開となろう。

 まず前半期であるが、最大のトピックは「障害者総合支援法」の成立である(6月20日の参
院本会議での可決をもって)。一部とは言え難病が初めて本格的に福祉法の対象に加えら
れたり、障害のある人の意思決定の在り方の検討が法文の中で明記されるなど、いくつかの
点で改善が図られた。しかし、基本合意文書や骨格提言からの乖離は甚だしく、全体的にみ
れば、「障害者自立支援法上塗り法」のそしりは免れまい。

 もう少し突っ込むならば、少なくとも次の二点を押さえておく必要がある。一つは、足掛け
9年に及ぶいわゆる自立支援法問題に決着がついたのかどうかということである。結論から
言えば、ついていないと言ってよい。骨格提言の主要部分のいくつかは障害者総合支援法
の附則で「3年後を目途に検討」とされ、見方によっては延長戦に入ったとも言えよう(後述)。
さらに言及しておかなければならないのが基本合意文書との関係であるが、こちらについて
はとくに元原告と弁護団は承服していない。決着どころか、今般の動きを新たな運動の始発
点にしようとする意思が固められつつある。

 今一つは、官僚主導の復調である。政権政党の政治力の減衰は、一般的には野党の巻き
返しになるはずだが、今の日本は違う。ここぞとばかり官僚が台頭してくるのである。今後の
障害関連の政策決定への影響は必至で、それだけではなく推進会議・総合福祉部会などで
ようやく萌芽が出始めた"Nothing About Us Without Us‐私たち抜きに私たちのことを決めな
いで"の後退が懸念される。

 次に、後半期の課題であるが、以下の3点は欠かせないように思う。その第一は、先にもあ
げた障害者総合支援法の附則に掲げられた検討事項の審議である。障害程度区分の見直
しやパーソナルアシスタンス制度の在り方など骨格提言の主要部分のうちの9分野が検討
項目に掲げられているが、審議体制や検討の方向性(目標)、ロードマップ(行程表)などは
国会審議において明らかにされなかった。障害関係団体がまとまることの重要さと合わせて、
骨格提言の段階的・計画的な実施を言明している政権与党の真価が問われよう。

 第二は、障害者差別禁止法(仮称)に向けての骨格提言の水準がどうなるのかということで
ある。来年の通常国会での立法化を睨みながら、既に20回以上の開催を重ねている差別禁止
部会の骨格提言が今秋初めにも公表となる。内容面では、「合理的配慮を怠ることが差別に
当たる」などが主柱となろう。他方で、差別禁止法の必要性についての市民啓発も重要となる。
この点でのJDを含む障害関係団体の責任と役割は大きい。

 第三は、新設の障害者政策委員会が順調に滑り出すことができるか、その下で年内に策定
される新障害者基本計画(2013年度~2022年度)の出来映えがどうなるかである。これらはこ
の国の障害分野の近未来を占うものであり、推進会議で培われた審議手法がどこまで踏襲さ
れるのかも注目される。

 例年に増して重要さが増す後半期であるが、JDは政策委員会の下に設けた6つのワーキング
グループなどがこうした政策動向に直接、間接に関与することが求められ、また運動面でも関係
団体と連携しながら効果的な役割を果たしていかなければならない。



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視点 うそつき

  (2012年5月号掲載) 



 「うそつき」、傍聴席から鋭く女性の声が走った。去る4月18日の衆議院厚生労働委員会での
「障害者総合支援法案」の採決直前のシーンだ。女性の声の後で一瞬の静寂が生まれたが、
一瞬とはいえ厚生労働委員会のたじろぎにも思えた。しかし、議場を蔽おおうよどんだ空気が
すぐさまそれを吸収してしまった。気を取り直すかのように委員長(議長)の声が小声で響く。
「御静粛に願います」と。そして「次に、ただいま可決いたしました修正部分を除く原案について
採決いたします。これに賛成の諸君の起立を求めます(ここで賛成者起立)。起立多数。よって、
本案は修正議決すべきものと決しました」こう続いた。

 6年半前の自立支援法案の委員会採決時の再現をみる思いだった。

 それにしても、「うそつき」とはよく言ったものだ。嘘とは一度つくとそれで収まらないという特性
を持っているが、今回も例外ではない。最初の嘘は、厚労省や与党が国民との間で約束したこ
とに背を向けたことである。その最たるものが障害者自立支援法違憲訴訟に伴う基本合意文書
を破ったことである。骨格提言の無視や政府要人の一連の発言をひるがえしたことなどと合わせ
て、国家的規模での嘘と断じてよかろう。次なる嘘は、嘘を前提として誕生した障害者総合支援
法をもって、「自立支援法を廃止し、基本合意文書を遵守している」と居直ったことである。全体の
つじつまを合わせるには、内容面でもこう言い通すしかないのだろう。「応益負担問題については、
いわゆるつなぎ法の時点で解決している」と強弁して憚らないのも立派な嘘と言える。結局は最
初の嘘が新たな嘘を呼び込み、嘘の連鎖の上に「障害者総合支援法」が成り立ったのである。

 ふと脳裏をかすめる。こんなことは障害分野だから許されるのか、国民全体に直結する問題だ
ったらどうだろうと。もしも障害分野だけに許されるとしたら、それは障害者差別以外の何もので
もない。徹底した検証が成されなければならない。

 ところで、政府与党は障害者総合支援法をもって新法と言うが、これについての見解を明確にし
ておく必要がある。現実の社会に身を置く我々は、たとえ問題にまみれた法律であってもその中で
生きて行くしかないのである。いかに運用し、いかに改善を重ねていくかが重要になるが、「新法」
なるものの診たてを誤るとこれらが的外れになりかねない。結論から言えば、新法には値しないと
いうことである。その理由はいくつもある。先に掲げた国会審議(衆院厚労委員会)において、自民
党議員によって「この法律は障害者自立支援法という土台を基礎として一部手直しを加えて衣がえ
をしたものであるということは、万人の目に明らかであると思います」と指摘されたが、政府側からは
まともな抗弁はなかった。また、新たな法律案と言うのであれば、衆院委員会での審議時間が3時
間コースというのはあり得ない。あの自立支援法の折には衆院だけでも80時間余りの審議時間が確
保された(参院厚労委員会では60時間余り)。「3時間コース」で済ませようというのは、政府与党自ら
が軽微な「改正法」と言っているも同然ではないか。さらに、法律番号が「第123号」と付されているが、
これは2005年10月31日に可決成立した自立支援法と同じである。

 障害者総合支援法を称して、「可能な限り法」とか「骨格提言背任法」などと揶揄されているが、「自
立支援法上塗り法」というのもある。単純な揶揄とは思えない。これらの中に、当面の対処方法が、
そして長期的な視点を含む新たな運動のあり方が込められているように思う。



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視点 肝心なのは社会全体とのねじれ回避

                  (2012年4月号掲載) 



盲ろう分野のリーダーでもある福島さとしさんの話はユーモアの中にも核心を突いていた。去
る3月8日に開かれた民主党による障害関連団体を対象とした障害者総合支援法案の説明
会の席上だった。「民主党に投票すれば自立支援法を廃止すると言われ、少なくない障害者と
家族、関係者は投票用紙に民主党の候補者名を書き込んだに違いない。廃止を御破算にする
と言うのであればそれは振り込め詐欺ならぬ書き込め詐欺になるのでは」こんな主旨だったが、
これへの民主党側からのコメントはなかった。答えづらかったのだろう。

 骨格提言と新法案との乖離が決定的になったのは、第19回総合福祉部会(2月8日)だった。
この日に厚労省より素案なるものが発表されたが、その貧寒ぶりは後に総合福祉部会の佐藤久
夫部会長から示された「厚労省による骨格提言への対応と障害者総合福祉法の骨格に関する提
言との比較表」で如実に表れている。民主党としては、「2月8日の時点からはだいぶ修正した」と
言いたかったのだろうが、3月8日の説明会の雰囲気はそれを許さなかった。内容面の不十分さ
と合わせて与党の政治主導の弱さへの不満が渦巻いていたように思う。最初に官僚側から水準の
低いものが示され、与党の発表段階で心もち引き上げられるというのが霞が関や永田町界隈での
常套手段であったが、残念ながらこの古典的なセオリーが今回もまたくり返されたと言わざるを得ない。

 ところで、気になるのはポスト自立支援法問題の社会全体の受け止め方だ。結論から言えば、予
想以上の反応であり、反応だけではなくその内容が骨格提言の支持を含めて私たちの主張を好意
的にとらえていることである。このことを表す事象を二つあげておく。一つは、地方議会での「障害者
総合福祉法」に関する意見書の採択が相次いでいることだ。4月5日時点での採択数は、12県、8政
令指定都市、163市区町村に上る。その大半が、骨格提言を基本に障害者総合福祉法の制定をとい
うものである。ほとんどの議会が全会一致で採択している。受ける側の国会と政府はその重みをしか
と認識すべきだ。

 今一つは、新聞の論調である。際立っているのが地方紙の社説で、国への批判的な見解で論旨が
共通している。掲載日付順に社名とタイトルをあげると以下の通りとなる(2月と3月の掲載分)。京
都新聞「障害者自立支援 見当たらぬ政治の反省」、神奈川新聞「障害者総合福祉法 提言の無視
は許されぬ」、東京新聞「障害者の新法 現場の声を忘れるな」、山陽新聞「自立支援法 見直しに
政治は責任持て」、信濃毎日新聞「障害者支援法 廃止と新法制定が筋だ」、神戸新聞「障害者支
援法 到底納得できない内容だ」、北海道新聞「障害者支援法 『改正』では約束が違う」、中国新
聞「障害者支援の行方 公約違反 繰り返すのか」、高知新聞「『自立支援法』国は廃止の約束を守
れ」、愛媛新聞「障害者自立支援法 理念も約束もほごにした政官」。

 有力与党議員の何人もが「ねじれ国会でなければ廃止になったはず」「ねじれの中で法案を成立
させるためには妥協しかない」を口にする。しかし、政界内の「ねじれ」のみに目が奪われているうち
に、社会全体との「ねじれ」が増していくようでは元も子もなくなる。この点では野党の責任や役割も
少なくないはずだ。いよいよ国会の表舞台に登場するポスト自立支援法問題であるが、くれぐれも
立法府の一人相撲は勘弁願いたい。社会に通用する審議や法律づくりとしていくためには、地方
議会の意向や各紙社説に耳を傾けることであり、何より基本合意と骨格提言に立ち返ることでは
なかろうか。



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視点 骨格提言のこだわりで正道を

                  (2012年3月号掲載) 



 日本の障害関連政策は、本質面においてなぜこうも遅れをとったのだろう。二つの理由が考え
られる。一つ目は、歴代の立法府や行政府がまともに対峙してこなかったからに他ならない。障
害分野が政治の表舞台に登場することは稀で、時々の政策課題を論じ合うNHKの日曜討論でも
主題に取り上げられることはなかった。まともに対峙してこなかっただけでなく、間違った対応や
誤解を招くような見解が遅れを増幅してきた。例えば、昨今の厚労省担当部署のコメントに「障害
者福祉予算は、ここ数年、前年度比で10%前後伸びている」というのがある。予算の伸びはたしか
だが、ここで最も問うべきは「予算が伸びて事態が好転しないのはなぜか」であろう。これについ
ては納得のいく説明がない。砂漠に水の譬えではないが、遅れに遅れをとっている障害分野にあ
って「前年度比増」とする発想法自体がナンセンスと言わざるを得ない。アップ率だけが虚しく浮遊
し、昔風で言えば「大本営発表」のようなものだ。詭弁を弄するのではなく、遅れの事実を受け入れ
る潔さがほしい。

 遅れの理由の二つ目は、重要政策の分岐点で失態を重ねてきたことである。言い換えれば好機を
逃してきたということである。古くは、身体障害者福祉法の制定時などが想い起こされる。制定過程を
まとめた解説書の中で、当時の厚生省更生課長は「諸外国の現在の立法例によれば、必ずしも厳密
に障害の個々の種類範囲等を規定せず結果において職業能力が相当損なわれていると認めるとき
は、たとえ内臓諸器官の障害であれこれを含むという形式をとっているものが多いが、……」(1951年
発行の身体障害者福祉法解説より)と記している。今日テーマとなっている難病や高次脳機能障害
などの人に対する福祉や就労施策の格差的な扱いは、関係者の誰かが執拗にこだわっていたとし
たら別の展開をたどっていたかもしれない。ILO159号条約(職業リハビリテーション及び雇用に関す
る条約)を批准したのは1993年であるが、この時も大魚を逃した。やはり今日的な政策課題が論じ
られていた。運びようによっては、福祉施策と雇用施策の一体的展開に関する強力な礎が打ち立
てられていたように思う。結果は形式的な批准に終わってしまったのである。

 遅れの理由の一つ目については、専ら政治や行政の問題であり、不作為という言い方もできよ
う。二つ目の政策分岐時の失態はこれとは異なる。むろん、ここでも政治や行政の姿勢が問題とな
ろうがそれだけではない。NGOの判断や関わり方も問われる。わけても障害団体のリーダーの責
任は重い。自覚できにくい力量不足であればまだしも、看過できないのは行政による「悪いようには
しないから」の甘い言葉に乗ってきたことだ。悲しいかな、重要な政策の岐路で、行政にコントロー
ルされた事実は余りに多過ぎる。

 さて、現下の状況と重ねるとどうだろう。骨格提言の成否がかかっているのだから、歴史的な
分かれ道と言ってよかろう。ただし、局面は非常に厳しい。周知の通り厚労省の消極さは目
に余る。これに引きずられている与党・民主党も情けない限りだ。そんな中でも方向性に手応
えを覚える。それは、あの骨格提言を55人部会の総意でまとめ上げたという事実がもたらす
ものだろう。しかもその総意はその後も成長を遂げている。とてつもない底力が備わってき て
いるように思う。最大にして最終の審議の場となる国会が、この総意と底力を見捨てることは
あるまい。総意を大切にする中に、邪道を遮断し、進むべき正道が開けて行くのではないだろうか。



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視点 廃止は自明ではなかったのか(下)

                  (2012年2月号掲載) 



 「自立支援法は廃止でなく一部改正で」、障害者総合福祉法を模索する一方でこうした論調が
台頭している。自立支援法を推進してきた旧与党が「一部改正」の立場に立つのは驚く話では
ない(自民党と公明党をひと括りにするのは正確ではないかもしれないが)。厚労省についても、
骨格提言を取りまとめる過程でのコメントなどを併せみれば予想がつく動きだ。しかし、一部とは
言え民主党にみられる同調の動きは解せない。

 問題は、民主党の中になぜこのような論調が生まれるのかということである。返ってきた答を
まとめるとこうなる。「ねじれ国会にあって、法律案を通すためには野党の同意が絶対的な条件。
すべて壊れてしまうよりはトーンダウンしてでも歩み寄りが大事」と。さらに、「廃止では同意が得
られず、形としては「一部改正」でいくが意味は同じ」と続く。この部分だけを取り上げればそれな
りの論理に聞こえる。

 声を大にして言いたい。それは違うと。何よりも廃止を公言したのは民主党自身であることを忘
れては困る。国政選挙時のマニフェストに始まって、基本合意文書の締結、総理や厚労大臣の
国会での演説や答弁、推進会議主要部分の閣議決定等々、政権政党である民主党が関与して
の「廃止宣言」は、枚挙に暇がない。「立法技術上は一部改正も廃止も同じ意味」の論法も無理が
ある。霞が関や永田町では通用するかもしれないが、改正と廃止がイコールで結ばれるなどは、
市民感覚では詭弁としか聞こえない。

 むろん、重要なのは中味であり、壊れるなどがあってはならない。かと言って、手順や手続きが
どうでもいいことにはならない。廃止をくぐるのとそうでないのとでは、内容面への影響だけでは
なく、障害当事者による新法のとらえ方が全く異なろう。本質的な問題なのである。もう一つ言い
たいのが民主党の軸足である。政局を乗り切るには、与野党間の交渉力も重要だが、それ以上
に廃止宣言に拍手喝采を送った国民の思いとエネルギーを信頼することではないか。徹底して、
軸足を国民の側に置いてほしい。

 旧与党にも言いたい。ふり返れば、小泉政権の絶頂期に誕生したのが自立支援法であった。
制度の根幹に競争原理や「自己責任」論などの考え方が深く宿っていることは否定できまい。こうし
た考え方が障害者政策に似つかわしくないとする懸念は、当時の与党議員からも少なくなかった。
懸念が的中したからこそ、修復に継ぐ修復を重ねなければならなかったに違いない。一般的に考
えて、根幹に由来する問題は致命的な欠陥と同意義であり、修復という手法では限界があるよう
に思う。たしかに「つなぎ法」で改良が加えられたのは事実であり、その延長での「一部改正」とす
る政策手法もあり得るのかもしれない。でも、軟弱な土台の楼閣が永久に修復を重ねなければな
らないのたとえではないが、いま問われているのは土台そのもののあり方なのだ。

 加えて、自立支援法の制度設計時後に登場した障害者権利条約の存在を認識すべきだ。批准が
視野に入りつつあるこの国にあって、国際仕様でのチェックは立法府の責任と言えよう。そして、何
よりも骨格提言に真摯に向き合ってほしい。障害者政策をめぐる論議であれほどのメンバーがまと
まることは奇跡に近い。限界集落ならぬ「限界生活」にある障害のある人たちの厳しい実態に思いを
馳せればこその帰結と言える。「55人の総意」は軽くはないはずだ。今国会を足掛け9年におよぶ
自立支援法問題の終着駅としようではないか。




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視点 廃止は自明ではなかったのか(上)

                  (2011年12月号掲載) 



 忘却曲線というのをご存知だろうか。人間の記憶というのは曖昧で、2週間ぐらいを境に
新たに覚えたことの大半は急カーブで遠ざかるとのこと。理不尽さなどを伴う衝撃的な出
来事となると話は別。「しこり」のようになって脳の奥深くに住み着くらしい。記憶のしこりを
障害分野との関係でみるとどうか。いくつもあろうが、最近ではいわゆる「つなぎ法」の国
会通過があげられよう。「つなぎ法」とは、正確には「障がい者制度改革推進本部等にお
ける検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活
を支援するための関係法律の整備に関する法律」で、ちょうど1年前の2010年12月3日に
参院本会議において採決が強行された。

 実は、この「つなぎ法」は、民主党の閣僚の一部からも「廃止が決まった自立支援法なの
になぜ"つなぎ法"が必要なのか」とあったくらいで、不可解さが残っていた。さらに不可解
さを助長したのは、同じ日の参院本会議で成立をみた法律だった。その名は「原子力発電
施設等立地地域の振興に関する特別措置法の一部を改正する法律」だ。当時の国会は、
野党が優位の参議院において内閣総理大臣に対する問責決議が提出され、空転したまま
閉会に向かっていた。事態は一転、閉会中審査の件で開いた本会議でこれらの法案があっ
さりと通ってしまった。問題は、二つの法律の間に政治的な取り引きがあったかどうかである。
ある与党議員は、問責決議提出下での法案成立自体が異例であるとした上で、「与野党の
双方から、こちらを通す代わりにこちらも」と言うのは珍しくないと漏らす。今を震撼させる原
発関連問題が絡んでいたとなると、これまた因縁染みた話ということになる。

 曰くつきの「つなぎ法」であるが、素直に捉えれば「新法へのつなぎ」ということになるが、こ
こにきて雰囲気が変わってきた。簡単に言えば、自立支援法の命をつなぐという意味での
「つなぎ法」に変質しつつある。自民党関係者からは「自立支援法を大改正したのが『つなぎ法』
で、これを修繕すれば事足りるはず」、こんな声が聞こえてくる。民主党からは、正式な見解は
ない。ただし、10月末から始まった同党ワーキングチームによるヒアリングの席上で、障害関
連団体に「骨格提言を生かした「つなぎ法」の改正でいいのではという意見もある。これをどう
思うか」といった趣旨の質問が投げかけられている。単純な質問とは思えない。そこに民主党
担当部署の本性を垣間見る思いがする。

 私たちの立場は明快だ。「廃止」の二文字に尽きる。自立支援法違憲訴訟に伴う基本合意
文書、骨格提言の真髄、新政権発足直後の鳩山由紀夫総理大臣や長妻昭厚労大臣の「廃
止宣言」、民主党の選挙公約、どこからみても廃止しかない。「つなぎ法」という根っこに、いか
に骨格提言を接ぎ木しようがまともな花など咲くはずがない。自立支援法問題で問われたの
は、まさに「根っこ」の部分(障害を自己責任とする考え方など)だった。結果的に現行の「つな
ぎ」法と共通になる点は少なくないかもしれない。しかし、廃止という一線を超えるのと、そうで
ないのとでは法の価値は全く異なるはずだ。法の理念や個々の施策にも有形無形の影響が
出よう。さらに心配なのは、万が一でも廃止が反故になった場合の政治や行政への不信であ
る。禍根は取り返しのつかないものとなろう。

 これ以上政争の具にしてほしくない。障害団体にくさびを打ち込むのも避けてほしい。与野党
を問わず、心ある国会議員の真摯な対応を、そして何より後世に恥じない立法府の毅然とした
姿勢と決断を期待したい。



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