JDでは、さる1999年12月8日(水)、全社協・灘尾ホール(東京都千代田区)において、新10年推進フォーラム’99を開催しました。当日は、関係者含む約350名の参加をいただきました。
ここでは、シンポジウムの様子についてお知らせいたします。
<シンポジスト> | 野沢 和弘 | (毎日新聞社社会部) |
板東 玲子 | (読売新聞社生活情報部) | |
南 直樹 | (日本放送協会解説委員) | |
村山 正司 | (朝日新聞東京本社「論座」編集部) | |
<進行> | 清原 慶子 | (東京工科大学メディア学部教授) |
藤井 克徳 | (日本障害者協議会常務理事) |
〔藤井〕
本シンポジウムのねらいは大きく三点あります。一つは近くて遠い存在のマスコミの実態を本日いらしている現場の方々にお聞きすること、二つめは障害分野の運動にマスコミの大きな力で後押しをしてほしいのですが、そのマスコミの持っている可能性と限界についてお聞きすること、三点めはマスコミとの関係を活用するためのコツやヒントを探ってもらおう、ということです。
そのねらいにそって、@マスコミが果たしてきた役割についてA障害分野に立ち向かう基本視点についてB障害分野を社会の表舞台に押し出していく上でのポイントC障害者団体、障害当事者に期待すること、の四つのテーマで論じ合っていきます。
シンポジストの方々は新聞社や放送局の肩書きを背負っていますが本日は放送人、マスコミ人として個人の見解を織り込んでお話ししていただきたいと思います。
〔村山〕
私自身が障害者問題について初めて書いたのは、九一年の秋に山梨県甲府支局にいたときです。新しく当選した知事が公約に、障害者条例を作ることを掲げていました。アメリカでADA法ができた後、山梨県でも障害者条例を作る動きがあり、県の委員が外国に視察旅行に出かけていました。朝日新聞社では九二年の正月スタートで連載をすることになり、私が二週間ほどアメリカに取材に行きました。その後、東京本社の学芸部家庭面に帰ってきても障害福祉の取材をしていました。
今回のアンケートで非常におもしろいと思ったのは、障害者問題に関する報道体制についてです。「障害者問題を担当する人がいる」と答えたのが三割くらいですね。論説委員、編集委員、解説委員等も含めての三割くらいですから、実際に障害者問題を専門に担当する現場の記者はもっと少ない。実に取材体制が貧弱な状態だということになります。
障害分野の発展について果たすべきことについて一言申しあげますと、私は各メディアが障害福祉を積極的に報道すべきだということはすべきではないという考えを持っています。なぜなら基本的に報道は、各個人の創意工夫や発意によってすべきものであろうと思うからです。メディアの組織というのはある種体育会系的なノリがあり、実に強い上意下達の組織を作っています。ですからそれが障害者問題であってもあまり旗を振ることはやってほしくないと思っています。
〔野沢〕
障害問題を専門に担当している人が三割ということですが、そんなにいるのかなというのが率直な感想です。私の担当する社会面では九六年くらいから「障害者虐待取材班」を立ち上げました。「何人くらいでやっているんですか」とよく聞かれます。当時二・五人くらいでしたが、今は私一人です。しかも他のこともたくさん抱えているので、実質〇・三人くらいの感じです。
虐待取材班を作った背景には、水戸でアカス紙器事件が起きたことがあります。それに取り組んでいた弁護士が知り合いだったこともあり、一段落した薬害エイズ事件の看板だけ書き換えて、障害者虐待取材班を勝手に作ってしまいました。当時の部長には、おまえ何を考えているんだと言われました。社内でも非常に冷ややかに見られていて、なんで障害者のために大きな紙面を割かなければならないのか、とさんざん言われました。その時支えになったのが、読者からの手紙やファックスや電話でした。読者からの反応が追い風となり支えになって今日があるわけです。その後も福島県の白河育成園事件などいろいろ取材してきました。
役割については、報道を通じて全国の都道府県に障害者一一〇番などができたり、雇用問題では障害者雇用協議会を行政が作ったり、あるいは地域福祉権利擁護の事業など、多少は個々の政策に影響を与えたかなという感じがします。あとは当事者団体などでも権利擁護に関する取り組みが本格化してきたことです。
しかし、障害者が主人公の映画が大ヒットして、スクリーンの障害者には拍手を送り共感もするけれど、自分の家の隣に作業所を作るとなると、あちこちで反対運動が起きる。そういう問題をどうやって世の中に問題提起していけるのかが私の果たすべき一つの目標です。
〔板東〕
私が今回、ここに上がらせていただくことになった理由の一つには、私自身が障害者手帳を持っているということもあると思います。視覚障害をもって記者として活動しています。
読売新聞にも専門に障害者問題を扱う人間は現在はいません。私は障害者の問題というのは、自身が先天性の障害なので身近な問題であり、いつでも付いてまわる問題として捉えていました。会社に入ってからも、そのことが役立てられればいいと考えていました。しかし新聞には、社会、政治、経済、国際、文化、スポーツなど社会全部を包括的にまとめて情報発信していく役割があります。では障害者の問題はどのページに当てはまるのかと考えた場合、非常に限られているなあという印象をもちました。障害者の問題は、社会全体から見るとほんの僅かの人口ですから、そうすると当事者と家族の問題でしかなくなるのです。障害者自身にとっては大きな問題でも社会全体から見るとマイナーな問題なのです。
ですからノーマライゼーションという言葉がもてはやされている現在でも、実際に社会の中でその意味を理解している人がどれくらいいるだろうか考えると、内輪ではこの二十年間がんばってきたという意識はあっても、社会全体から見るとやっぱりまだまだではないかなという印象を受けています。
これからの新聞社として果たしていくべきこととして一番大きな問題は、日常生活を営んでいく上で、隣人との心のバリアをいかにして取り払うかということだと思います。障害者も同じように一人の生活者なのであるということを、いかに理解してもらえるかが大切なことと考えます。私の所属している生活情報部・家庭と暮らし面では、生活者の視点でさまざまな人たちの声を拾い上げ、記事にする方針です。その立場を生かして障害者と健常者の心のバリアを取り除くことを、紙面を通して問いかけていきたいと考えています。
〔南〕
私が記者になったのは一九七一年です。積極的に社会参加しようという障害者自身の声をマスコミが正面から受け止めて報道するようになったのは、七十年代に遡ると思います。その頃までは障害をもっている方や患者さんを撮影するときは、必ず後ろにまわって撮れと教えられたものです。そうした流れが変わってきたのは、七十年代の水俣病の患者たちによる運動などいくつかの出来事がきっかけになっていると思います。アメリカのADA法が実現したのも、公民権運動の高まりがあったからです。日本でも一九七三年に車イス市民全国集会が仙台で開かれましたが、そういった障害をもった人たちの運動に私たちも影響を受けてきました。ただこの七十年代には、障害者の自立という考え方が、必ずしも広く理解されていたわけではありません。家族の責任でケアをすべきだ、施設に収容して専門家による治療や訓練をする必要があるという考え方が根強く残っていました。そうした流れが変わっていったのは、やはり一九八一年の国際障害者年だと思います。これをきっかけとして、収容する方針はだんだん変わってきました。私がその頃取材をしていたのは、愛知県心身障害者コロニーというところでした。収容主義を反省して、在宅のケアに注目した活動が行われはじめていました。
そして、その頃の取材で記憶にあるのは、コロニーの知的障害をもった子どもたちの性の問題を正面から考えてみようという研究会が職員達の間で開かれ、放送したことです。この問題を取り上げるということについては放送局内にも抵抗がありました。結局、「障害者の性教育を考える」という題名で放送をしました。それは十八年前、国際障害者年を通じてNHKが障害者の性教育のテーマを扱った、たぶん唯一の番組です。今ではこのテーマはタブーではなくなりつつあります。
ジャーナリストには表面に表れている現象だけではなく、水面下に潜んでいる問題についても発掘して取り上げていくという役割があると思います。
〔藤井〕
マスメディアには大変大きなパワーがありますが、そのパワーの質を私なりに解釈しますと、強大なソフトパワーだと思います。そういう中にあって障害者問題は今ありましたようにやや気が重くなりそうなテーマであったり、時にはタブーなこともあったりします。障害分野や人権問題に取り組んでいく基本的視座、視点をお聞きしたいと思います。
〔板東〕
今まで障害者に関わったことのないまま記者になり障害者問題に取り組む方とは、言葉では説明しにくいのですがたぶん見方がだいぶ違うと思います。私は障害者の方たちを取材するときはどちらかというと同士めいた意識が強いと思います。ただ、それがマイナスに働いてしまうことがよくあります。ですから自分が障害をもっているということは基本的には明かされずに、記者としてどういうふうに切り取れるかという視点で聞くようにしてきました。
また、人権はすべての人がもっているものなのに、障害者だけが人権と取りざたして大きく扱うのはどうかなと思います。人権問題が障害者問題に近寄りがたいムードを醸し出してしまうので、キーワードとして使われる人権は好きな言葉ではありません。
〔南〕
障害をもった方々の取材の一方で、脳死と臓器移植の問題や末期医療のあり方の問題も取材してきました。双方に共通して基本となる考え方は自己決定権ではないかと私は考えるようになってきています。
自分の生き方を自分で決めていくことは当たり前のことのように思われますが、障害をもった人たちについては、施設の中でほとんど一生を送るという方が現実におられるのです。それがピアカウンセリングなどの障害者同士の助言やボランティア活動の援助によって、相当重度の障害をもった方でも地域で住宅を借りて生活をすることもできるようになってきています。そうしたことを考えると、自己決定権が鍵となる言葉だと思っています。
〔野沢〕
誰のために記事を書くのかという基本的な視点はいつも考えていることです。アカス紙器事件でこんなことがありました。起訴された社長に九七年の三月に執行猶予判決が出ました。従業員の女性十数人への性的暴行についての告訴は、全部起訴されずに執行猶予がついたわけです。その日に法廷に詰めかけた障害者や支援者達が社長の車を取り囲んで出てこいと騒ぎをおこし、車をボコボコに壊して三人逮捕されました。そのとき支局の若い記者に詰め寄られ、あなたたちが煽るような記事を書くからこんな騒ぎが起きるのだといわれました。私は、車一台と十数人の障害者の女性の人生を台無しにしたこととどっちが大事と思っているのか、君は誰のために記事を書いているのかと反論しました。
私は障害者の問題をいろいろ書いていますが、障害者のためだけに書いているつもりはありません。障害者の存在は、日本の社会や時代を探求するのにわかりやすいキーワードだと思っているからです。いろいろな矛盾が障害者の問題には凝縮しています。今の日本の社会や時代の本質を探っていく上での極めて良い素材というと語弊がありますが、そのつもりで障害者の問題を書いています。
〔村山〕
南さんは自己決定ではないかとおっしゃられましたが、わたしはそれにも留保をつけたいというのが最近の考えです。
介護の現場をいろいろ見ていくと当事者の自己決定を尊重するだけで、果たして日々の生活が成り立っていくのかということを考えざるを得ない局面が出てきます。障害福祉分野は目新しい理念が外国から次々と輸入されてきます。それをフォローするだけで精一杯です。インテグレーションとインクルージョンの違いもほとんど理解できないとしか言いようがないと思います。バリアフリーという言葉も大流行しましたが、九二年か九三年頃、論説委員兼編集委員と話をしていたときに、僕がバリアフリーといったらその意味を聞かれたのを今でも鮮やかに覚えています。もっと根本的に障害者というカテゴリーを認めるかどうか、障害に注目するのか人間に注目するのかというところからして、僕にはわからないとしか言いようがないです。
〔藤井〕
とくに知的障害や精神障害のある方の場合、何らかの事件に巻き込まれたときに、
加害者の場合であっても被害者の場合であっても、その証言や状況説明の能力に信憑性が疑われるというような場面が多くあります。そういう現場に関わられて、そこに潜む問題を記者として世の中の表舞台に押し出す経験をされたプロセスを紹介していただきながら、障害者の問題を社会に押し出していく上での視点をお話しいただけるでしょうか。
〔野沢〕
白河育成園事件で福島県警は書類送検までしましたが、結局起訴はされなかったのです。やはり障害者の証言能力が懐疑的にみられてしまうからです。
知的障害者が被害を受けたことを裁判の俎上に上せることは、今の裁判制度上なかなか難しいのです。しかし、自分の受けた被害をうまく表現したり、その記憶をたどって整理して話すことが苦手な知的障害者にも、その手助けをする通訳を介在させることによって、乗り越えられる問題になるのではないかと思います。この前横浜の方であった事件ですが、やはり知的ハンディのある女性に養護学校の先生が性的暴行をし逮捕されました。そのときの決め手になった一つの証拠が、母親が被害状況を聞いて撮ったビデオでした。判決の中で母親の強い誘導はあるけれどそれを差し引いても真実性は認められているという判例が出ています。既存の制度をうまく利用したり工夫したりすれば、いろいろな可能性が出てくるのではないのかと最近私自身は感じています。
障害分野を社会に押し出していくポイントとして、テクニックの面でいえばいろいろなことが考えられると思います。たとえば官庁や企業はマスコミに接近するときにものすごく工夫しています。巧みに僕らを利用しようとします。それを考えると障害分野の方たちは、なんでこんなに実直なんだろうと思うくらいです。ガーンと抗議されたりするとこちらも退いてしまって、さわらぬ神にたたりなしという態度になる。その辺をもっとテクニックで工夫すればうまく利用できると思います。
〔南〕
精神障害者の問題については法律が次々とできました。法律はできるが問題は積み残されていると思います。現実に一番大きな問題はいわゆる社会的入院だといわれています。それに対する社会復帰施設といわれる施設は一万人分にも満たないという状況が続いています。
そうした状態に対して私たちがどういうふうに近づいていくことができるのかと例を挙げれば、小規模作業所で行われている試みを紹介するというやり方が一つあると思います。単にそこで働くというだけではなく、さまざまなサークル活動をしているわけですが、それが人間同士、社会との繋がりとなっていく面もあると思います。そうしたことを紹介することが表舞台に登場していくきっかけになるのではないかと思っています。精神障害をもった人たちをそのように正面から撮影して紹介したことは、私たちの放送ではたぶん初めての試みだったと思います。
〔村山〕
精神障害者の方々を正面から映すという話と関連しますが、実名が書くかどうかが非常に大きな問題だったことがありました。匿名で書くより実名で出ていただくほうが、明らかにアピール度も高くなるわけです。それがその状況を開くために間違いないことだと当時は思っていたのですが、今はちょっと違っています。あまりに、その線で強い障害者を無理強いしているような感じがあるのではないかと反省しています。すべての障害者が運動家になる必要はないと思います。報道する側からすると、社会の前面に立って発言する人の方が書きやすいのですが、それは大きなものを取り落としているのではないかという感じをずっと抱えていました。
〔南〕
ニュースもドラマも、障害をもった方々の登場の仕方は、これまでは両極端でした。保護されるべきかわいそうな人たちとすごくがんばっているすばらしい人というかたちでした。それがだんだん普通の人、等身大の人として登場するよう少しずつですが変わってきている。
誰でも性の問題や結婚の問題で同じように悩むわけですし、阪神大震災のようなことが起きればタフな人でも柔な人でも非常に精神に傷を負うことがあり得るわけです。そういう意味で、皆普通の人間なんだというかたちで登場することが少しずつ増えていると思います。
〔板東〕
実際に保障とか制度とかいう 闘う姿勢が見えるキーワードのある記事が載ったときに、どれくらいの人が読んでくれるだろうかと思います。私も友人と、自分たちの問題にもかかわらず読む気がしないよねという話をよくします。
障害者の問題を表舞台の新聞の紙面にたくさん登場させるためには、たとえばレジャーであるとか旅行であるとかスポーツであるとかだと思います。特に障害者についての知識がなくとも、一般の人がなんとなく察しがついたりわかったりできるよう、上手にそのようなテーマと障害者をくっつけて報道していかないとまず読んでもらえないかなと思います。身近な問題を取り上げることで障害者を理解してもらう。そしてそこから波及していってどんどん深い問題も考えていけるようになるんじゃないかなという気がします。
〔村山〕
用語についてですが、朝日新聞の記事では今、「障害がある人」とは書けるんですが「障害をもつ人」と書くとチェックが入り「障害がある人」に直ってしまいます。私はこの措置に関しては疑問があります。「障碍者は障害をもちたくてもっているわけではない」というクレームがあったからです。われわれ一般社員には、どこからクレームがついたのかどういう経緯でついたのかは知らされていません。わたしは障害をもつがよくなくて障害があるがよいという理屈は、ある種の障害観に基づいた言い方だと思いますが、障害という属性を否定的なものとして捉えていることになるのではないかという感じがします。
〔藤井〕
日本の障害の分野で最近実感することは、その理念と実態が乖離している状況がますますひろがってきていることです。九〇年代の構造は理念と実態の乖離という二重構造だと思います。自己決定権、選択権、ノーマライゼーション、バリアフリーなどの言葉と理念は普及していきました。これらの理念は正しいのですが、ペースメーカーは実際に走る人と差がつきますとペースメーカーになりません。そろそろ次の手を打たなければまずいのではという考えがあります。もう少し実態と理念とを縮める方策をマスコミとしてどのようにお考えでしょうか。
〔村山〕
今までは人権という言葉は伝家の宝刀だという認識がありましたが、これから先はちょっと違ってくるのかなと感じています。世の中全体が、規制緩和・市場原理主義的なアメリカにとどんどん近づいてきているわけですが、福祉業界の論理、理念もアメリカ型に近づいていくのだろうかと思います。もちろんそうなりきれない部分はたくさんあるだろうと思います。
アメリカは決して高福祉社会とは言い難い社会だと思いますが、日本がアメリカ型社会になっていくのであればまず差別禁止の論理が展開されると思います。具体的な差別を具体的な局面でどんどん禁止していくという動きは、何でもやり放題の規制緩和路線の中では非常に重要になってくる気がします。よく知られている話ですが、アメリカ社会では人を雇う場合に年齢や人種も聞いてはいけない、本人の能力以外の属性で判断することは差別になるからです。おそらく能力主義といえばそうなのですが、日本でもこれほどアメリカ化が進んでくるとアメリカ的な差別禁止の論理も重要視されてくるのではないかという気がします。
〔野沢〕
いろいろありますが、メディアをもっと研究してほしいと思います。その先の実態との乖離をどう埋めていくかという細かい部分でのペーパークラフトみたいな仕事が、果たして我々マスコミに向いているのかどうかと感じます。マスメディアは万能ではなく、だからいろいろな種類のメディアが新聞の各面にあります。それぞれの得意な機能がありますが、それをちょっとあやまって、鉈でペーパークラフトをやって大事な物まで全部なぎ倒してしまうことにもなりかねません。ですからその辺のことを研究していただきたいと思います。
もうひとつは都合のいい注文ですが、もっとしたたかになってマスコミを活用しながら育ててほしいと思います。
私の周りを見ても、若い記者は結構真面目で情熱をもっている人が多いのです。僕らの唯一の味方である読者や障害者の領域にいる人々からの応援の声が力になりますので、ほんとうにしたたかに育ててほしい感じがします。
〔板東〕
同じように障害者団体の方々に、新聞記者を育ててもらいたいと思います。読売新聞の場合も実際の後継者がいないままで来てしまったので、私なんかがここに出ることになったわけです。実際にやりたいという人間はいるのですが、一時的な思いだけで終わってしまうことがよくあります。ですから障害者団体の方たちへ一度連絡してきた記者は、つかまえて離さないというくらいのがめつい姿勢でいていただけたらいいなと思います。また、よく思うことですが障害者団体に行っても年輩の人が多く、若い人と話をするチャンスがあまりありません。障害者団体でも若い世代をどんどん育てていって、若い人たちの意見を聞ける状況を作っていただきたいと思います。
〔南〕
マスコミにおける扱いにくい問題はこれまでにもありました。この機会に遺伝子診断のことについて少しだけお話ししようと思います。出生前診断によって、家族は、これから生まれてくる子どもに重い先天性の異常の恐れがあったら生むのか生まないのかという、困難な選択を突きつけられるような時代になりました。これは障害をもった人たちにとっては、存在の否定につながらないかという不安をもつことになるわけです。この問題はマスコミにおいてずいぶん長い間、触れない方がよい問題になっていました。
去年そのシンポジウムを開いたときにも、企画段階から危惧する声がありました。しかしこの際、専門家と障害をもった方、さらに親御さんを含めたシンポジウムを番組としてぜひやりましょうと主張して番組を組みました。そこでは決定権を預けられることで両親は悩むことになり、その悩みを一緒に考えてくれる場が社会にどの程度あるのでしょうかと話されて、社会的なケアの問題とかカウンセリングの体制の問題だとかを話し合いました。このような番組を作る気運が熟してきていると私は思います。
障害をもった人、専門家、法律家なども含めて議論を積み重ねていく場ができ、また、生命倫理という分野が生まれたということに意義があると思います。そして医療技術が独走しないようにさまざまな分野から集まってどういったガイドラインを設けていくのかという議論にも発展していくと思います。そうした冷静な議論の場にぜひ参加していただきたいということです。
〔村山〕
メディアの利用の仕方について具体的に、最近聞いた笑い話をしたいと思います。朝日新聞に論壇という欄があります。霞が関では非常に閲読率の高い欄なんですが、ある精神障害者の運動をやっている人が霞が関の某課に行きました。そしたらその課長補佐が、「今度朝日新聞の論壇に投稿してください。あそこに載ったらうちも予算がつけやすいんです」と言われたということを聞いて、私は大笑いしてしまいました。それぞれのメディアの特性があって、お役所もメディアを利用していて、政策展開の中で予算をつけるときの非常に良い口実になるという現実があります。
〔村山〕
東京のメディアは組織も大きくてどこがいったいなにをやっているのかということわかりづらいところがあります。しかし、全国紙の支局の記者はだいたい十人くらいで、非常にアクセスしやすいところがあります。ある障害者団体の方がおっしゃっていましたが、原稿を書いた記者が二年から三年で転勤により担当を替わってしまうことは、運動団体にとっては非常にイライラする話なのだそうです。その原稿を書いた記者が転勤するときは、その運動団体の方の自宅に呼んでご飯を食べさせたりするのだという話を聞いて、私はなるほどそのようにつきあっていこうとしている人もいるんだなと感銘を受けました。
〔野沢〕
全日本手をつなぐ育成会で発行している、「ステージ」という本人向けの新聞に私たちが関わっています。一般の政治、経済、社会のテーマを知的障害者にもわかるように書いてくれといわれて、非常に苦労しながらやっています。そこには障害者本人の記者も何人かいて、たとえばドラマ「聖者の行進」のロケ現場に取材に行って、障害者を演じている石田一成氏への突撃インタビューをしたりしました。あるいは障害者の支援者達のセミナーに乗り込んでいって、あなたは障害者に意地悪をしたことありませんかというアンケートを配って集計したり、障害者の側から世の中にどんどん情報を発信していこうというコンセプトでやっています。
皆さんから見るとマスコミとは皆同じ一枚岩に見えるかもしれませんが、いろいろな記者がいろいろな所でそれぞれの活動や取り組みをしています。それを理解していただいて利用するところは利用して、抗議するところは抗議してうまくつきあっていただきたいと思います。
〔板東〕
お互いにわかり合うということはなかなか時間のかかるエネルギーのいることだと思いますが、実際このようにたった二時間とちょっとの場ですが、話すことでお互いがわかり合えることは非常にままあることだと思います。
障害者の側には、障害の種別ごとの縦割りがあって自分たちの障害については一生懸命がんばるけれど他のことはよくわからない、という立場の人たちが以外に多いと思います。障害者の中でお互いにわかり合おうという努力も大切な部分だという気がします。
〔南〕
障害者と健常者が互いに共感をもった関係を築いていけるかどうかというのは、一緒にいる時間に比例すると思っています。ボランティア活動や地域で障害者と一緒に活動するさまざまな行事や催し、あるいはこうしたシンポジウムも、そのような意味合いが大きいと思っています。マスコミや放送にできることは実はそんなに多くはありません。ただそうした活動のきっかけを作っていくことはできるのではないかと思っています。
〔清原〕
皆さま、忌憚のない率直な経験に基づいた貴重なお話をありがとうございました。
まず一点目に、皆様の経験に基づいたお話からマスメディアの中で障害分野の問題というのは積極的には位置づけられていなく、専門の記者は少ないという実態が浮かび上がってきました。けれどもマスメディアの力というのは一方で社会に障害分野の方向性を示す理念を明確に示し、標榜していくという機能に貢献してくださってきたことと、さらにはなかなか見えにくい障害分野を巡る問題を掘り起こし、それを提起していく貢献もしてきてくださったということが分かりました。けれども、その理念と現実との乖離がある中では、それをすべてマスメディアに求めるのではなく、私たちが政策として進めていくための動きがやはり不可欠であるということも明らかになったと思います。
二点目にメディアの動き、特にマスコミの動きを押し進めていくためには読者、視聴者としての私たちの働きかけ、応援、批判が極めて重要であるということも明らかになったと思います。障害者問題にかかわるマスコミの方たちを積極的に支援し、情報提供していくこと、共同作業をしていくことが大事だということがわかると思います。
三点目に障害者団体としては、マスコミとのおつきあいをより強固なものにしていき、障害問題とマスコミの力とのコーディネート、結びつき、連携の役割をすることが大事だということ、さらにはマスコミだけがメディアではないということを改めて感じました。野沢さんが例示してくださいましたように、野沢さんご自身がボランタリーになさっている障害団体のミニコミ紙の意義や役割も、小さいながらも大きいということを示唆されたと思います。
最後に、人権という言葉についてお話が出ました。マスコミでは少し扱いにくい用語ということでした。しかし個人的な意見ですが、そうであっても基本的人権という考え方は極めて重要であり、まだまだ保障するための制度は不十分だと思っています。とりわけ障害分野の人権を巡る問題が、社会における人権の問題を考えていく上で欠かせない重要な課題だと思います。それをマスコミの皆さんも臆せず堂々と扱っていただけるよう、私たちが応援して行くべきだと思った次第です。