VOL.22-9 | 通巻NO.270 | |
作 家 | 飯田弘道(いいだひろみち) | |
作品名 | 遠い記憶 | |
解 説 | 「我々は死にたくない。生きる権利があるのだ」。 デモさながらに上空を群れで飛び交う数万羽のムクドリの壮絶な叫び声は、現在でも都市で眼にすることができます。 その異様な行動は、大地震でも起きる不吉な前兆のように、子どもの頃、固唾をのんで見守っていたのを記憶しています。 そんな印象を絵にしました。 (東京コロニー・アートビリティ提供) |
巻頭言 | 1 | お母さんだって働きたい |
・・・全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会/JD理事 青葉 紘宇 | ||
特 集 | 2 | 「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム国際会議開催!(PartU) −国際権利条約の制定を求める札幌宣言採択・DPI世界会議札幌大会− |
3 | 基調講演 開発と障害者法 講演者:ジュディ・ヒューマン(世界銀行障害問題顧問・前アメリカ合衆国教育省次官) |
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7 | 2002年第6回DPI世界会議札幌大会札幌宣言(仮訳) | |
8 | 札幌プラットフォーム【札幌綱領】(仮訳) | |
パラボラアンテナ | 10 | 個性と地域性、そしてなにより人 |
・・・俳人 花田 春兆 | ||
加盟団体紹介 | 11 | 福岡市障害者関係団体協議会 |
・・・事務局長 下川 悦治 | ||
Information | 12 | 団体・地方・行政の動き、トピックス、お知らせ |
・・・小野 隆 | ||
15 | 正会員のイベント予定 | |
16 | 次号予告・活動日誌(11月) |
お母さんだって働きたい
全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会/JD理事 青葉 紘宇
仕事の関係もあって障害児をもつ若いお母さんと話し合う機会が多い。グループで懇談する時もある。30年前と時代が大きく動いているはずなのに、家族を巡る環境は一向に変わらない感がある。
お母さんが障害のある子どもに掛りきりになっている姿は昔と少しも変わっていない。お父さんが子どもの相談に来ることはほとんどない。大きな会社に属しているお父さん程、仕事中心の生活で朝早く家を出て夜遅くまで帰ってこない。土曜日曜は疲れ果て子育てどころではないようだ。ユニークな生活スタイルの人も多くいるのだろうが、出会うことは滅多にない。要はみな会社人間なのである。だから、お父さんの呟きを聞く機会はない。
お母さんの呟きの中で、自分から言い出しにくい話題もある。夫婦だけで旅行がしたい、結婚10年目の記念を2人だけでゆっくり過ごしたい、働きに出たい等々。そんな時こちらから話題を振ってみると、堰を切ったようにいろいろ出てくる。
子どもへの施策が整備されつつあるという割には、学校以外の場面では障害児への対応が遅れているように思われる。公式には門戸が開かれているようだが、障害があると道は狭くなってしまう。放課後対策にしても、多くは障害児の参加を想定していない、枠外なのである。学校の土曜休日化の対応は親任せだし、ショートステイやヘルパー派遣も実際はそんなに利用できない。行政の窓口はあまりよい顔をしてくれない。まして夫婦で旅行などというレスパイトの発想は、市町村では門前払いである。学童クラブで受け入れてもらえれば母親も働けるのに、実際はなかなか受け入れてもらえない。プールなどの習いごとや塾も、親の付き添いが条件であったりする場合が多い。こうして実際のところ障害児にとって、学校以外の場で子どもの成長を促してくれる機会があるようで実際にはない。国レベルでの施策の体系は美しく整っているのに、実際の窓口まで下りてくると、障害児の参加場面は狭くなり閉ざされてしまうのである。
先輩のお母さんたちは、親亡き後のために力を集中しており、若い層の声に応える機会をつくれないでいるのかも知れない。願いはもちろん子どもの幸せであるけれど、若いお母さん自身にも願いがあることを、そして、それらが贅沢な願いでないことを、行政もこの道の先輩の方々も知っていただきたいと思う。