●最新のニュース20050328_2な触法行為をした精神障害者の処遇に関する法律案(仮称)の概要」に関して、要望書を提出

未加入者年金訴訟(東京高等裁判所)の判決について

 3月25日、東京高等裁判所において、未加入者年金訴訟についての控訴審判決が言い渡された。
判決内容の概要は以下の通り。

1.控訴に係る原判決を取消す。
1.障害基礎年金不支給処分取消し請求について、請求を棄却。
1.国家賠償請求について、請求を棄却

これに対し、東京原告・弁護団が声明を出しています。

声  明

1.本日、東京高等裁判所民事第20部(宮崎公男裁判長)は、学生無年金障害者らの主張を全面的に棄却する不当な判決を言い渡した。この判決は、立法不作為を違憲と判断した東京地裁判決を取り消したばかりか、国会が昨年12月3日に成立させた特定障害給付金支給法の趣旨さえ否定するものであり、到底容認できない。

2.私たちは、この判決は一審原告らの要求に背を向けたものであり、全く評価に値しないものと考える。今後、東京、新潟、広島の地方裁判所の勝訴判決をバネにして、最高裁での逆転勝利をめざし、全ての障害者が年金で安心して暮らせるように引き続き最大限努力するものである。

以  上

2005(平成17)年3月25日

学生無年金障害者(東京)原告団

    同           弁護団




学生無年金障害者についての控訴審判決についての要旨

文責:法政大学名誉教授 JD政策委員 高藤

【本裁判の概略】

本件訴訟は、学生がまだ国民年金への任意加入の時代にその未加入の間に発障下者が、障害年金の支給を求めましたが、制度への未加入を理由に拒否されました(本件不支給処分)。そこで、その処分に関し社会保険審査官、会へ審査、再審査を求めたが、いずれも却下されたため、国側を相手に裁判所へ訴えた事件です。同様の事情にある者が全国9地方裁判所に訴えを提起し(いわゆる学生無年金者訴訟)、本件訴訟は東京に居住する仮にA,B,C,D4人の身体障害者が東京地裁に提訴したものです。

第一審では、学生側が勝訴したので国側が控訴しましたが、判決に不満がある学生B,C,Dもその不満な部分について控訴しました。そして、この控訴審では、国側が勝訴し、逆転判決となりました。以下、まず一審判決の要点を説明したのち、控訴審判決のこれと異なる部分の概略を紹介します。

【第一審判決要旨】

 大きな判示事項としては、下記5点です。1)は20歳以上での学生障害者に障害年金を支給しないことが憲法25条に違反するかどうかの問題、2)は学生を年金制度の強制適用から外して任意加入としたこと自体が憲法14条、25条に違反するかの問題、3)は20歳前での障害者には障害福祉年金が支給されたのに、同じ稼得能力のない学生には不支給であったことの憲法14条(法の下の平等)への合憲性の問題です。

1)憲法25条と障害者の年金受給権について
憲法25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」なるものはきわめて抽象的、相対的な概念であって、それに答える立法措置はそのときの文化の発達程度、経済的・社会的条件、国の財政事情等との相関関係で決定され、「著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱・濫用とみざるを得ないような場合」のほかは立法府の広い裁量にゆだねられている。したがって、年金のみが同条項が要求する措置であると断定することは困難である。

2)国民年金法が学生を任意加入としたことの合憲性について
制定当初、学生を強制適用の対象から除外したことについては、同法は老齢年金中心の制度で、学生は多く卒業後の収入によって老後に備えることができるのであるから、学生の身で保険料を負担してまで制度に加入するほどの利益はなく、これを適用除外としたことには合理性があり、憲法14条、25条に違反しない。

3)障害を負った年齢が20歳前の時は障害福祉年金が支給されるのに、20歳以上での学生障害者には支給されないことの合憲性(憲法14条への合憲性)の問題
そもそも強制加入の年齢の加減を20歳としたことは大部分のものが稼得活動に入っていると想定したものであるから、定型的に所得活動をしない学生は強制適用から除外したもの、すなわち34年法の思想は学生20歳未満のものと同視したもので、この点からしても20歳以上の学生にも障害福祉年金を支給するのが自然な考えで、この差別は疑問であるが、当時の大学への進学率は低く、学生とその父兄は富裕であるとの社会通念があり、他方これに20歳前障害者と同じ扱いをしても、受けられるのは低額の福祉年金で、あまり大きな利益付与ではないから、両者の差別は憲法違反ではない。
しかし、いままで低額の付加的給付たる障害福祉年金の支給対象者であった20歳未満障害者が20歳に達したときの制度の根幹をなす障害基礎年金を支給することとした昭和60年の法改正によって、この人達と原告ら学生無年金者の扱いの差は量的にも拡大し、質的にも異なるものとなった。この時点では大学進学率も向上していたし、ここにおいて、学生無年金者に20歳未満障害者に対すると同等の救済がなされないまま放置することは、憲法14条に違反(平等原則違反の違憲、違法)し、立法不作為の違法が存在した。

4)処分の適否の判定
しかし、その是正措置が特定されない限り、原告らに対する処分の適否の判断は裁判所としてはできない。このような場合は、原告らの救済は立法不作為による国家賠償請求によるべきである。

5)国家賠償請求について
原告らの国家賠償法上の請求については、同法上の支給要件たる故意または過失が存在し、また無年金であったために、原告らは日常生活や社会生活上様々な不便を強いられ、多大の精神的打撃を受けた。国は原告らに各500万円を支払え。

【控訴審判決要旨】

控訴審判決は一審判決を基盤とし、それと異なる部分を補正するという形をとりました。その補正したもっとも重要な部分は上記一審判決の3)の後段部分の昭和60年法改正が学生になんらの立法措置をとらなかったことについての判断部分以下の部分です。この判断の差異が両判決の結論を左右したわけです。

1)60年改正が学生の扱いをそのままにしたことについて
この改正によって、被保険者資格がなかったのに障害基礎年金が受給できることとなった20歳前障害者に対し、それが受給できない20歳以後に障害を受けた学生との間にできた差異は、「従前の福祉年金が廃止され、国民年金法における障害給付の種類が障害基礎年金に一本化されたことによるものであり、いずれも被保険者になり得る前の事故による障害に対する給付であることには変わりはない」。
 この頃は大学進学率は相当向上したが、それでも大学進学者は少数である。34年頃の大学進学者に対する上記社会通念はまだ通用する。この時点でも学生無年金者の立場を是正すべきかどうかは立法政策上の阪大の問題でその検討も積み重ねてきており、その是正措置をとらなかったことが、憲法14条に違反するとはいえない。
 存続されていた学生の任意加入制度の利用率が低かったのは、学生は卒業後は被用者年金に加入することが通常であったこと、保険加入意識、制度への関心が低かったこともあると考えられ、この制度が機能していなかったものではない。さらに、障害者に対する備えは本来本人またはその扶養義務者がなすべきもので、国家の救済措置は貢献的な社会福祉的措置であるから、昭和60年法における上記20歳前後による扱いの差異は、立法者の裁量の範囲内である。
以上によって、60年法制定時に立法不作為の違法が存在したとはいえない。憲法違反を前提とする控訴人の本件不支給処分取消し請求には理由がない。

2)平成元年法の合憲性について
学生を強制加入させた平成元年法が、過去の無年金者をどう扱うかは立法者の裁量の範囲内の問題である。60年改正の際の無年金学生の解消について検討・努力すべき旨の付帯決議がなされているのであるから、国会はその問題を検討したのであるから、当該立法行為、立法不作為が違法とはいえない。

3)国家賠償請求について
昭和34年法、同51年頃まで、または同60年法の際に控訴人主張のような措置をとらなかったことが違法でないことは上記のとおりである。控訴人も強制適用されたため負担する保険料の減免措置が、無年金であるがゆえに受けられないが、これは障害年金受給者は将来老齢年金の受給がないためであり、控訴人らは保険料を納付することにより老齢年金を受給でき、収入がない場合は、平成元年法では申請による保険料免除が可能なのであるからこの点も違法とはいえない。したがって、控訴人の国家賠償法に基づく請求は理由がなく、被控訴人国の控訴には理由がある。

4)結論
よって、控訴人の処分取消、損害賠償請求はいずれも理由がなく、これと異なる一新判決部分は取消し、控訴人の請求を棄却する。

【解説】

1)上にもふれましたように、両判決の結論を左右するにいたったもっとも大きな判断上の差異は国民年金法の60年改正法による従来の20歳前障害者が20歳になって支給されていた定額の障害福祉年金に代えて世紀の障害基礎年金支給としたのに、20歳以上の学生を放置したことについての評価です。これを一審判決は両者の扱いの差を量的のみならず質的にも異ならしめたとして重要視するのに対し、控訴審判決は、従来の福祉年金が廃止され、障害者基礎年金に一本化されたことによるものに過ぎない、とこともなげに判示しています。
 しかし、その一本化の障害者年金制度発展市場の大きな意義が重要でして、これをまったく考慮しない、あるいは考慮できないともみられる控訴審判決のレベルの低さに問題を感じます。その一本化は、障害者に対する独自の所得保障給付として、障害年金は老齢年金中心の社会保険制度から切り離され、拠出がなくても支給される無拠出年金化したという重要な意味をもっているのです。このことは20歳以上での障害者は、制度加入初日に障害を負ったものでも支給されることになったこと(被保険者期間要件の撤廃)と照応します。その結果、定期的に稼得能力のない障害者には、“障害”という事実のみで社会あるいは国家がその生活を障害年金支給という形で支えるという理想的な制度が実現したのです。このことが見落とされていることは控訴審の決定的な欠陥です。
 一審判決が着目したのは、まさにこの点でありました。定型的に稼得能力のない20歳前障害者には無拠出で正規の年金を満額支給したのに、同じく定型的に稼得能力のないゆえに強制加入の適用から外したと認められる20歳以上の学生をなにゆえに20歳前の者と同様に扱わないかという疑問から発して、延々数頁を費やして両者の差を違憲と判断をしているのに、控訴審ではわずか数行で合憲として片付けています(この部分の説明自体意味不明です)。少なくとも、一審判決を取り消す以上、もう少し入念な説明が必要なところでありました。
 このほか、60年法附則やなんどかの国会での付帯決議にもかかわらず、無年金障害者を放置してきた顕著な事実にも国側は検討を重ねてきたことの判断、任意加入制度の利用率が低かったことは学生側の加入意識の低さなどからで、制度が機能していなかったためではないとの指摘、障害に対する備えは自己責任であるとの認識など、控訴審の判示には目を疑うものがあり、また、幅広い立法裁量論の採用(乱用)にも問題を感じさせます。

2)両判決の第2の重要な差異は、20歳以上の学生以外の同年齢の保険料未納付者が無年金であることとのバランス問題についての見方の相違であります。一審は国民年金制度発足時点たる昭和34年頃は大学進学率はまだ低く、一般に大学進学者は富裕であると見るのが社会通念で、学生への手厚い給付は、貧困層に属すると見られている大学に進学しなかった者への逆差別で、それも学生無年金者に立法措置をとらなかったことの合理性を認める一つの理由としていましたが、昭和60年改正の時点では一般の大学進学率も向上し、その社会通念はもはや存在しなくなったと判断して、逆に20歳前障害者と同等の措置をとるべきことの根拠としました。これに対し、控訴審は逆の見方で、昭和60年時点でもまだ大学進学率は低く、34年当時の社会通念はまだ通用するとして、一審判決を否定する有力な理由としました。
 富裕者には有利に、貧困者には不利に扱うということは逆配分で、一般論として許されない不平等でありますから、この問題は重要です。しかしこの問題は進学率の問題ではありません。両判決とも制度が当初から学生を20歳前の者と同様に強制適用の対象から外したことを正当視する理由付けとして、両方とも定型的に稼得能力=拠出能力がない点に求めていますが、その論理的帰結として20歳以上の者は稼得能力のあるものとして、事故の将来の老齢への備えとともに、年金制度という社会連帯上の義務履行をなすのが当然と見られます。その履行は彼の老齢年金額に反映されますから、制度としてのバランスが保たれ、不平等問題はないのです。不平等であるといえば、現在の学生納付特例制度も不平等ということになります。
 しかし、ここで別の問題が出てきます。それは、上記20歳前障害者や20歳後の加入初日での発障者には無拠出年金を支給することとしながら、一般の障害年金の支給要件としては過去に被保険者期間のある者は滞納期間がその三分の一以上であってはならないと規定して(国民年金法301項柱書のただ書)、まだ過去の社会保険の残滓を付着させているからです。このことによって、楽聖の強制加入制のもとでも多くの学生が無年金となっておるわけです。無年金障害者解消の観点からは、一審の論理からすればその放置はやはり憲法14条違反=立法不作為と扱われ得るケースとなり、現にこれら新しい無年金者救済が昨年12月の救済立法でも検討事項とされているところです。一方で無拠出化しながら、他方でまだ旧制度の残滓が付着しているのは矛盾で、立法としての整合性に欠けているわけです。ともかく障害者であれば他の要件をつけずに障害者年金が支給されるよう、法整理がおこなわなければならないのです。本件におけるこの問題については、このような方向からの考察もなされるべきでした。
 因みに、イギリスでは学生障害者は25歳までは、オランダでは障害を負ったときに学生であった者にはそれぞれ無拠出給付がされています(「すべての人の社会」日本障害者協議会、0412月号、同054月号)。これらの国のこのような学生障害者支援は、教育水準の向上がやがては国家、社会に有益との考慮も働いているのでしょうか。

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以上もっとも肝心と思われる2点を中心として取り上げて、一審判決に対する控訴審判決の不当さを説明しました。控訴審裁判所としても、その審査能力のレベルの低さと司法にあってはならない行政よりの先入観を露呈した恥ずかしい判決であったと思います。
詳しく説明できないのが残念ですが、控訴審判決はまるで、政府側の控訴理由書あるいは準備書面を読んでいる感じがします。十分な説明もしないで、または不明解な説明をして、民はグズグズ文句を言うなといわんばかりの、吐き捨てるような言い方の文面で、はじめから国を勝訴させようとする結論先にありきの判決です。
 この裁判に携わった裁判官によっては恐らく国民は行政訴訟に勝訴できる可能性はないと思われます。わが国には公正な司法は不在=法の支配の不在を思い知らされ、暗澹たる気持ちです。この判決の今後の地裁判決への影響も懸念されます。今年も花は咲きましたが、お花見の気にもなれません。
 しかし、われわれはあきらめてはいけません。わが国の司法をあるべき姿にし、公正な社会を築くための努力を地道に続けていかなければならないと思います。道は遠そうですが、粘り強く参りましょう。


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