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介護保険制度と障害者施策に関しての基本方針(案)固まる

本年1月に厚生労働省から「障害者施策と介護保険の統合を考えてほしい」という提起があって以来、日本障害者協議会では、厚生労働省との話し合い、学習会の開催、政策委員会での検討などを重ねてきましたが、先日5月11日の理事会で、たたき台としての「介護保険制度と障害者施策に関しての基本方針(案)」を提示しました。 来る5月22日(土曜日)、協議員総会後の政策会議では、この基本方針案を土台に話し合う予定です。

                                               

介護保険制度と障害者施策に関しての基本方針(案)

日本障害者協議会 理事会(2004.5.11

格差をどうとらえていくか

 私たちは重大な局面の只中に置かれている。昨年スタートした支援費は予想を上回る利用が全国的に見られ、大幅な予算不足となってしまった。

 また「地方分権」の名のもと、三位一体改革が進められ、補助金の削減や、国から地方への税源委譲などが推し進められている。経済財政諮問会議は、今後3年間にわたり、4兆円の税源委譲を図るとし、今年6月に同会議は骨太方針を出す予定で、障害者施策についても一般財源化への動きが強く見られる。

 地方分権それ自体を否定するものではないし、日本の中央集権的体質により様々な弊害が生じていることをみた時に、積極的に受けとめていくべき事であろう。ただこの三位一体改革自体が本質的な地方分権への取り組みとはいい難く、財政力の弱い自治体をさらに苦しめていくという状況さえ予想される。

 さらに社会福祉施策について都市部とそうではない地域との間に大きな格差が厳然として存在しており、現状において急激に自治体任せにすることは、残念ながら社会福祉に対する人々の意識のギャップの存在という側面からも、より格差を拡大させる可能性が高く、慎重であることが求められる。そういう意味で社会福祉施策の基幹部分については、国が責任をもつシステムを維持しなければならず、そういうシステムと、自治体独自の個性と創造性をもった施策が重なり合う方向性が少しずつ時間をかけて模索されていくことが望まれる。

 障害者施策を今すぐに一般財源化させていこうとする動きに対して、私たちは歯止めをかけ、国全体の改革とあわせて、じっくりと議論していくことを強く訴えていくことが必要である。

基本的な前提

 さて、国がいうところのいわゆる障害保健福祉施策と介護保険制度との統合については、残念ながら本協議会をはじめ、8団体などで提起した懸念される諸問題についての指摘に対し、厚生労働省より未だに明確な回答が出されてなく非常に残念である。

 ただ私たち団体の取組みが力及ばず、三位一体改革に抗しきれないで、一般財源化されることをも想定しておく必要がある。そのような状況の中にあっては、国税が投入されている介護保険への統合も一つの選択肢として考えていかなければならない。

 その場合の基本的な前提は、地域移行システムをきちんと構築していくことと、障害の重い人たちのニーズに応える介護サービスを継続していくことが第1である。

 第2は、精神障害者施策であるが、社会的入院の解消を単に介護保険という道具のみで解決するのではなく、福祉的な施策を他の障害と基本的に同じ位置付けにしていくために、精神保健福祉法の抜本的な改正に取り組むことである。精神障害者施策については、これまで医療偏重の傾向が強かった。医療に関する法の枠組みと福祉施策に関するそれとをすみわけていくことが今求められている。いわば新たな福祉法が必要とされているのである。それによって、“身体”や“知的”と同程度の施策が展開され、「医療」とは関係なく、地域生活支援のための、介護、相談、就業、住宅、日中活動の場が整備されることにより、人権が尊重された地域生活を送ることが可能となるのではないか。地域社会における医療法人の支配を最小限に食い止めていく必要がある。

 本協議会は“総合的な障害者福祉法”を提言しているが、そこへの道筋がなお遠いならば、精神障害者施策の抜本的な改革をまずおこない、そのような改革を通して“総合化”していく取り組みも視野に入れなければならない。事業や施設の経営も必要ではないとはいわないが、当事者の視点に立った改革がなされなければ主客転倒であり、その上で、介護保険をどう活用していくかという議論も成り立っていくのである。

 本協議会は障害者施策の構造改革ともいえる基本的問題の解決を強く訴えている。その中で所得保障の確立は必要不可欠な課題である。仮に介護保険が適用されるという状況になれば、1割の自己負担が求められる。現行制度で考えるならば、最高額は要介護5の3万6千円となる。現行の障害基礎年金ではとても支払うことができない。「サービスを買う」福祉を一面的に否定はしないが、福祉サービスを含めた消費生活がきちんと営めるような所得保障が重要である。厚生労働省は“減免措置”などもほのめかしているが、これでは介護保険という理念で考えるならば、利用者の権利が守られるか否か疑問である。

 次に第1の問題と関連するが、要介護認定のあり方である。介護保険では、市町村職員等の面接調査に基づきコンピューターで一次判定を行ない、その後介護認定審査会で二次判定を行なって要介護度が認定される。障害の具体的細微な特性や、社会参加を含めた生活全体のニーズをどこまでコンピューターで把握できるかは、大きな疑問である。現行の介護保険による判定システムは、画一的な介護・支援の提供を余儀なくされ、その結果介護を必要とする障害者の生活自体も画一化・標準化されてしまう可能性が高くなる。公的な制度である以上、多くの市民に納得される介護サービスの質と量でなければならないが、ひとりひとりの個性や生き方を最大限尊重していくことも、ノーマライゼーションの重要な側面であることを忘れてはならない。個別性が重視される介護サービスが求められている。長時間の介護や医療的ケアを必要とする障害の重い人たちに対しては、レベルダウンさせることがない支援、あるいはそのための工夫が、今後求められる。脱施設化の流れを後戻りさせてはならない。

普遍的な原理と社会経済の流れを総合的にとらえようとする視点

 その他、提起すべき課題は少なくないが、おおよそ以上の問題が解決しえるかどうか、この問題を考えていくにあたっての重要な柱となる。

 本来、介護システムを含めた社会福祉制度全般は、普遍的な原理に基づいて行なわれていくことが求められるはずである。それは、年齢や居住地、あるいは性別を超えて、人々の間で、同じニーズを持つ人がいれば、同じサービスを受けられるという原理である。そういう意味では、高齢者の介護サービスである介護保険制度と、若年障害者の介護サービスを担う支援費制度というように、ふたつの介護制度が存在することには問題がある。

 普遍的な原理という観点に立つならば、年齢や疾病要因に関わりなく、社会的自立に向けた同一のニーズのある人に対しては、同一のサービスが提供されるような仕組みづくりが求められている。そのような視点に立つならば、ある意味、介護保険制度への統合化の波は、あるべき姿に近いものと言える。もちろんそのような原理を踏まえつつ、若年障害者の方が社会参加のニーズが高い傾向にあることは押さえておく必要はあるが。

 ところで厚生労働省が、その普遍的原理をかざしてそれらの統合を論じるとき、社会福祉諸施策全体の切りつめが本質的な目的であることを見逃してはいけないであろう。それは今政府全体がすすめている構造改革の考え方に沿うものなのである。つまり日本経済再生と赤字財政からの脱却という目標に向けた、規制緩和の推進であり、あらゆる分野に競争原理、市場原理を注入していこうとするものである。

 その考え方の下では、社会福祉施策にプライオリティーがおかれることはなく、経済活動に寄与するかどうかでプライオリティーが決まってくるのである。介護保険制度それ自体を見ても、保険財政が厳しくなっていることは確かであり、審議会では、自己負担分を現行の1割から2割または3割にしていこうとする考え方や、要支援などについては、介護サービスを提供しないという考え方が打ち出されている。国がいうところの障害保健福祉施策の介護保険制度への統合の背景には、被保険者を20歳からにすることによって、財源を確保しようとしているとする見方も十分にできる。

 そのような流れの中で、社会福祉諸施策も枠組みが再構築されようとしているのである。したがって、このような社会的・経済的な流れを見ないで、社会福祉の普遍的原理との理由をもって、障害者施策の介護保険制度統合を安易に賛成することはできない。

今後の社会福祉について

 さて、今後の社会福祉のあり方について、ここで考えていく。本当の意味での構造改革と地方分権が求められているのではないだろうか。例えば、景気や雇用対策においても、ダムや道路工事などの公共事業重視から、社会福祉や保健・医療を重視する施策への転換が求められる。また、多くの税収が国に吸い上げられる構造から、自治体独自の財政力を高めていくという本質的な地方分権への移行が求められている。これには広域圏をつくったり、地方の産業再生のためのプログラムも含まれよう。

 その上で、社会福祉については国がナショナルミニマム的なシステムをつくり、あるいは方向性を示し、それに自治体独自の施策を加えて、地域で暮らす人たちのニーズにあった施策が展開されなければならない。ただし年金制度等、所得保障という市民の生活根幹に関わる部分については、国の責任で行なわれなければならず、今や介護制度も市民にとっては生活根幹に関わる重要な施策という側面が強く、所得保障と同じように国の責任部分が大きいといえる。

 ともかく、日本において昔よりかは進んできたとはいえ、市民の社会福祉に対する意識はまだ成熟しているとは必ずしも言えない中で、前述したとおり、当分の間、国が方向性を示し、裏づけとなる財源を確保していく必要がある。そして、ノーマライゼーションという理念が、障害者や高齢者だけの問題ではなく、ひとりひとりの市民自らの問題であるという啓発も重要とされる。

 私たちが求める構造改革は、単なる経済活性化や規制緩和ではなく、ひとりひとりの市民が生涯をとおして、人として尊ばれ、安心して暮らせるような、基盤をつくるための制度改革である。それはある意味規制緩和等と対置する要素が強いといわざるを得ない。それに向けた税制の改革など、社会全般のメカニズムを改革し、市民に安心を保障する施策を中軸におくことによって、経済の活性化が図られるという認識である。意識改革並びに啓発活動と制度的な基盤整備は密接な関係にある。

 これらを日本はある程度の時間をかけて行なっていく必要がある。

 ところで今後の国の政治経済の流れにどのように対応していくか、私たちとしても論議を始めていく必要がある。今回の年金法案の取り扱いをめぐって、浮上した社会保障全体の見直しに向けてである。消費税税率の引上げは時間の問題といえ、社会福祉施策改革との関連でどう捉えていくかが、問われている。

 構造改革の重要な視点は、自立と共存(または共生)、連帯、そして適度な活力である。それは、国や自治体レベルでもそうであるが、障害者施策においても、この理念は重要となる。だからこそ、私たちは扶養義務の見直しや、所得保障の確立など、個人を大切にする施策を基幹問題として提言しているのである。

 また、難病など障害の谷間にある人たちに適切なサービスを受けられずにいる状況を決して忘れてはならず、障害認定制度の改善は急務であり、総合的な障害者福祉法や障害者差別禁止法の制定が強く望まれている。

ベターな選択と粘り強い協議

本協議会のそうした基本的な立場を踏まえ、冒頭に述べたような三位一体改革の流れにおける障害者施策の一般財源化という直面する問題に対し、真剣に、真摯に、慎重に、対応していくことが私たちには求められている。事態は何を選択してもいばらの道という厳しい状況に置かれている。すでに財界は障害者の介護保険組み込み並びに保険加入の年齢引き下げに反対を表明しており、一見、私たちと近い立場にありそうに見えるが、決してそうではなく、社会福祉全体という枠組みで見たときに、負担をしたくないわけで、そういう観点からますます厳しい状況が進んでいるといえる。

そのような中、障害者施策が今一般財源化されるとしたら、全国的な格差はますます増大していくであろう。標準的なシステムを活用することも一考に値する。

その場合において、障害者の脱施設・脱病院を具体化しえるような、施策でなければならない。もちろん介護保険制度のみでは無理であり、ひとりひとりのニーズに対応しうる施策がそれに加えられる必要が絶対にある。

現状においては支援費制度の継続が望まれるところであるが、極めて厳しい状況認識のもと、ベターな選択がなしえるように、厚生労働省障害保健福祉部との粘り強い協議を継続していかなければならない。そして何としても、統合した場合の施策全体の姿を明らかにさせていくべく努めていきたいと考える。それなしには選択自体極めて難しいのである。

また本協議会を含む8団体共同の運動は、日本の障害者運動史上において、極めて意義深いものであり、これを大切にしていく視点も重要である。

厳しい状況認識と現実的判断の鍵

社会福祉をめぐる状況がとても厳しいものであることを率直に認識し、現実的なそして柔軟な対応が今求められている。私たちが求めている理念や目標と、現実との反復運動が余儀なくされている。しかし、1割の応益負担には到底応じられないことや、要介護認定のありかたなど、譲れない部分も多く、今後の厚生労働省との協議において、どう展開していくか、最終判断はその内容に左右される。


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